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追悼 中田武仁様

中田武仁さんが逝ってしまいました。私たちはこの世の平和の使者、偉人を失ってしまいました。彼の英知、正義感は余人を持って代え難いものです。
25年前、国連ボランテイアの一員としてカンボジアに赴き非業の死を遂げられた愛息厚仁さんの悲劇に直面した彼は、誠に歴然と立派な対応でした。亡き愛息と会うため多くの見送りの方々に礼を失することなく、笑顔でお礼申し上げた姿を見たあるテレビコメンテーターは「何と非常な父親、悲しくないのでしょうか」と述べていたが、彼の心中たれぞ知るや。カンボジアに着くや、多くの国民は我が身を呈してカンボジアに尽くしてくれた厚仁さんの姿をせめてそのまま家族のもとに運ぶべくドライアイスを集めようとしたが、父武仁さんは直ちに申し出を断り、その場でダビに伏した。「厚仁は貧しい人々を助けに来たのです」。厚仁さんが任務途中で帰国した際、ジーパンはぼろぼろ、靴のひもは切れているのを見た母親は、早速新しい服を用意されたが厚仁さん言下に「違うよ、母さん 日本に帰って綺麗になって帰る訳に行かない」と断りそのまま帰って行きました。
私は厚仁さんの生誕に桜の苗を贈った。その木は厚仁さんの生涯と共に父は伐りました。しかし、厚仁さんの應典院にあるお墓は毎年命日4月8日には桜の木が爛爛と咲き誇っています。
厚仁さんの「思い、意志は正しい」と判断した彼は、その意志を継いでボランテイアの先陣に立つのではなく、サポーターとして各国をまわり、ボランテイアの支えとして働き、国連に於いて「国際ボレンテイア元年」を宣言しました。
国連等でのスピーチは、彼は通訳を準備しなかったそうです。理由は自らの間違いはexcuse 出来ても通訳の誤解は取り返しつかないからだそうです。

寺本 隆雄(中・高4期)

国連ボランティアとしての思い出を語る中田武仁終身名誉大使。手前の写真は長男厚仁さん=東京都渋谷区の国連大学で2008年4月