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恩師のいま 〜 阪本龍夫先生(茨木中高)

まだ現役です

                 阪本龍夫

 定年退職し、手を振る演劇部員に見送られて追坂を走り去ってから、もう6年が過ぎました。あの日私は部員と追坂の桜に別れを告げて、枚方市にある東海大学付属大阪仰星高校に非常勤講師として赴任しました。それからの6年間にはさまざまな変化がありました。
学校は新しい校地へと移転し、安威の地に懐かしい学び舎はありません。体育館もなく、安威祭はなくなり、行事も学校のシステムも大きく変化したようです。そして今、世の中はコロナで大変な状況で、終息する見通しも立っていません。

私自身の生活はあまり変わっていません。大阪仰星高校に来たのは、校長が全国高等学校演劇協議会の会長(以前は東京の女子高の校長でした)をしておられたご縁により、招かれたからです。「部員が2人いるから面倒をみてください」というお話しだったのに、来てみると誰もいませんでした。実は部員ゼロの状態が長年続いていたようです。翌年、私の勧誘に応じて、やっと中学3年生と1年生の2人が入部し、同好会としてスタートしました。もちろん部室も音響機材も照明機材も、活動場所もなく、ジプシーのような状態でした。それでも春と秋にある大阪中学校演劇祭に出場し、優良賞と優秀一席を獲得しました。

仰星での3年目、中学3年生が高校生となり、5人の仲間を集めてくれ、仰星高校演劇部としての活動が始まりました。7月にはHPF,9月の文化祭、そして11月のコンクール。冬には私学芸術文化祭典に出演。追手門学院の時と同じようなスケジュールでした。違うのはまだ部室もなく、機材もわずかしかないこと。どのホールに行っても部員は1年生の初心者ばかりのチームで顧問は45年目というのがギャグのようで、他校の顧問や劇場スタッフにうけていました。

今年、仰星高校演劇部は4年目が終わり、5年目に入ったばかりです。この4年間に3回、地区大会で最優秀賞を得、府大会に進みました。個人演技賞も連続で獲得しています。

昨年の府大会では、追手門学院、追手門学院大手前と大阪仰星の3校がそろい踏みでした。例年大阪代表は3校が近畿大会に進むのですが、コロナの影響で近畿大会が規模縮小となり、1校だけが最優秀賞でした。審査結果は大阪代表に追手門学院が選ばれました。見慣れた紺色の制服が喜んでいる姿。横では泣いている仰星の部員たち。喜ばしいような、悔しいような何とも複雑な心境でした。例年通りなら追手門学院、追手門学院大手前と大阪仰星の3校が近畿大会で上演できたのではないかと思っています。

こうして今は授業と演劇部顧問としての生活を送っています。月曜から金曜まで授業、多くの土日はクラブの稽古をしています。仰星高校はラグビー・サッカー・野球・柔道、また吹奏楽部など全国レベルの部が多く、そのクラブをするために入学した生徒が9割を超します。高校生になってからクラブを選ぶ生徒はほとんどいません。そのため部員獲得は追手門学院の時とは比べ物にならないほど至難の業です。可能性があるのは特進コースの生徒に限られてしまいます。だから演劇部員は中学も高校もほとんどが特進コースの生徒です。まさに文武両道。活動できる限られた時間をやり繰りして作品を創っていますが、レベルは落としません。

4月から仰星で7年目、追手門学院の時から数えて47年目の教員生活が始まりました。大阪は再び非常事態宣言を要請しました。クラブ活動も休止・自粛になっています。昨年も今年も新入生歓迎公演はできませんでした。新入部員ゼロの危機が続きます。でも粘り強く、細々とでも部を成長させていきたいと思っています。

夢は「目指せ、全国」です。

2021年4月22日