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「偕行社学院58期生同窓会 思いを語る」

偕行社学院58期生同窓会
2019年11月3日開催
於 追手門学院大阪城スクエア6F 大手前木―ル

 

 狂気の軍国主義から手探りの民主主義へ、私達の小学生生活は180度回転した。決してよき時代ではなかったのに、在校していた誇りがうっすらと刻み込まれているのはどういうことか。通過した過去を肯定したい思いは同期の友情によって連がっていること以外に何かがある。
これらの出来事は秘して埋没させておくべきことではなく、私達が6・3・3制度により新設された中学1期生となり、今回の追手門学院の基礎となってスタートしたjumping boardではないか。
同級生の葬儀・納骨の儀が続き同期会消滅の危機感を感じ、西浦教頭先生・贄田くんのお世話で、大阪城スクエア6階大手前ホールで吉兆の弁当を添えて17人が集まった。これが最后であってはならないが、今後これ以上の人数が集まることはない。録音を撮ることをお願いし、今までの同窓会では語られなかつた、語りたくない話題を70年振り返ってあぶり出すように司会するが、発言は久しぶりの同窓会の楽しさはなく、重い思い出したくない空気で覆われた。

運動場の東に御眞影泰安殿があり天皇の写真が入っているのであろう、それに向かつて挙手の敬礼をした。天皇陛下の御為に、お國のために、富団強兵、撃ちてし止まん、盡忠報国の洗脳を受け、特攻隊が生まれ、ヒットラーユーゲント的教育が何の疑いもなく全国民に浸透して入った。

姿勢を正し私語は全くない、教室の廊下で足払いをかけられ、立てばまた転がされて、階段で突き落とされドドドの音がする。背筋が寒くなる。今日もまたやってるが怪我の話は間かず、この先生は戦后は事務所員だった。
整列していると何が気に触ったか持っていた木刀で頭ヘー撃、木刀が折れた、斜めに叩かれたからと小学生は冷静に見ている。この先生と生徒の文通は長く続いた。
横列に並ばせて平手打ち、吹っ飛びそうな勢いを辛抱する、 先生の爪の間から血が滲んでいた。

兄の学年のあった話として、屋上から足を持って吊るす、さすがに父兄会で問題になり、手から外れたらどうすると言われ「私はすぐに飛び降りる」と答え、それまでとなった。
学校では殴打のない教育は考えられない。しかし登校拒否は無く、非国民、一億一心、と便利な言葉で片付けた。ただ参観日だけは違った、どの先生も和服を着飾った母親に囲まれての授業は苦手のようだった。

戦争が本土空襲を受け避難のため、石切、箕面に疎開した。蚤や虱の巣のような衣服に、食料は人間の食べるものはなかった。不足というより無いに等しく、空腹を超え栄養失調で燈火管制の中、空襲警報で防空壕へ待避は毎日。大阪の我家が焼けた生徒はもちろんいた。赤々と燃える美しさは悪夢であり、低空飛行で襲う敵の顔がはっきり見えた。
疎開の寮生活では先生のお膳を下げる当番があって、食べ残しがないか人間性皆無の恥ずべき教師と生徒の奴隷扱いが明らかにされる。
幼い空腹の親を離れた子等には、畑の芋泥棒は生きんがための手段であり、金魚をロウソクで炙って喰い、舞い込んだ小鳥も嬉しい食料になった。

矛盾だらけの戦中教育。
教育を授ける人は眞実を知らなければならない。温かい人間性を持たなければならない。
私達は無垢であった。日本は神国、必ず神風が吹くと本当に信じる教育を受けた。
天気が悪くなった日、友達と今日は吹くのではと話し合った。今の子供たちには考えられない。

借行社58期生はシンガポール陥落で大阪城内の師団司令部へ旗を持たず祝いの行進に行った。陸軍記念日3月10日、校長の超長い軍人勅論を直立不動で聞き、御堂筋の観兵式で連戦の結果、周囲の房だけがのこったように見える軍旗と、白馬が行進中糞をするのを見て、真田山の陸軍基地に詣った。軍国少年は忙しい。通学途上将官には停まって挙手の敬礼を行うことも命令された。

戦后、天皇が全国巡幸で大阪府庁のパルコエーに立たれた、道路は人で埋まり涙する人も多くいたが、私たちは天皇のためにとの世相を作り、強制され種々の犠牲になった人を知っている。疎開で地方へ離阪した彼奴はどうしたか、名前だけの名簿を見て今更探すこともない。

偕行社で得たものは耐えること。

文責 額田晃作