追手門の教員として勤務していた三年間よりも長い時間が退職してから流れました。恩師とは言うものの何だか自分が卒業生のような気がして、何となく気恥ずかしい気がします。
私は112期生と115期生とともに追手門での日々を過ごしていましたが、最後に担任した(当時2年生だった)115期生もいよいよ今年度で卒業することとなり、時の流れのはやさを感じています。
当時、私は兵庫県の明石市から追手門学院小学校まで約一時間かけて通っていました。(なんと大学も奈良県境に近い柏原市まで2時間半かけて通学し、夜十時まで運動部で練習したあと帰宅していました。まさに根性物語!)小学校の先生は授業が終わると何もないと思いきや、数多くの会議に教材研究と、いくら時間があっても足りないような毎日でした。しかしその分たくさんの笑顔に囲まれて、充実感に満たされていました。家にいるより、学校にいる時間のほうがずっと長かったので今でも追手門の様子はとても気になります。
学校を離れてからも、体育大会や、文化祭にお邪魔しては卒業生の懐かしい顔を見かけたり、在校生の著しい成長振りに驚かされたりする度に一気に時間が逆戻りして思い出があふれてきます。当時は、入学してきたばかりの一年生はなんて小さいのだろうと思っていましたが、六年生になったその子に今ではすっかり背を抜かれ、かたや卒業してすっかりきれいになった卒業生にびっくりするやらうれしいやらで毎回楽しい気持ちで帰路につきます。気分はすっかり「親戚のオバちゃん」なのです。
退職後は、この夏二歳になった一人息子に振り回される毎日を送っています。一緒に公園に行ったり、小さなゴムプールに入れて水遊びをしたり、臨海学舎に行っていた頃よりも日に焼けて真っ黒です。近所のお友達と十人くらいで大はしゃぎ。まるで小さな保育園のようです。走ろう運動さながら、なわとびで跳んだりしながら、ふと、追手門に通ってきた子供たちも、きっとこんな風に愛情をうけて幼年期を過ごしてきたのだろうと考えたりすることも多くなりました。毎日フルパワーで遊ぶ「ちびっ子ギャング」にノックアウトされることもしばしばで、たった一人になんでこんなに手がかかるかと、大勢を相手に担任していた自分が今では信じられません。それだけたくさんの方のお力添えを頂いていたのだと今更ながら痛感しています。
追手門に勤務して、たくさんの方に出逢い、様々な経験をさせていただきました。楽しかったことも、大変だったこともありましたが、妻となり、母となった今になって骨身にしみてよかったなあと感じることがたくさんあります。今となっては勇気を与えてくれた追手門の子供たちや卒業生、支えてくださった保護者の方々みなさんにお会いしてお礼を申し上げることもままなりませんが、皆様の明るい未来を心からお祈りいたしております。
本当にありがとうございました。
2003年10月6日