亡き中田守司元山桜会副会長が、平成19年8月25日、永眠されました。
平成14年11月、ご自宅で、脳出血により倒れられて以来、今日まで、療養生活を続けられてこられましたが、誠に残念であります。
中田守司さんとは、多喜晴代さんと私の3人での山桜会副会長時代があり、今も、楽しかった日々を思い出します。 中田さんは、追手門学院から、高津高校に進学され、野球部で大活躍されていました。正副会長会議の後、酒好きな3人が毎回のように居酒屋に集まっていましたが、中田さんからは、よく、野球部での自慢話を聞かされていました。
その後、早稲田大学に進学され、私も中田さんの大学の後輩でもあったことから、特に親しみを感じていただき、その後も、親しくお付き合いさせていただきました。
信念を曲げない頑固な方でしたが、永年、家庭裁判所の調停委員をされ、持ち前の度量で調停解決に尽力されていました。 中田守司さんは、先代からも学校法人追手門学院の発展に多大なる寄与をされてきたご一族の一人であります。
中田守司さんは、ご兄弟に、大阪簡易裁判所の調停委員をされている中田康仁さんがおられます。 また、甥であった中田厚仁さん(当時25歳)が、当時、国連ボランティアをしていた1993年4月、カンボジア内乱の最中に、何者かに銃撃され死亡された事件は、誠に痛ましい事件として、今もなお、記憶されている方も多いと思います。
ここに哀悼の意を表します。安らかにお眠りください。
2007年9月1日 校友会 山桜会会長 川原 俊明