コラム , 恩師のいま , 茨木中・高等学校

恩師のいま 〜 平田勝一先生(茨木中高)

私の母校でもある追手門学院中・高等学校は、大阪市東区にあり、毎日天王寺から府庁近くの京阪東口まで市電にのり、通学していました。昭和42年に二年間大阪城を横に見ながら学んでいた大手前学舎から、前年開学した大学のある茨木市西安威の地に移転しました。

最寄りの駅は国鉄茨木駅で学校まで約4㎞離れており、スクールバスを利用しなければならなかったのですが、駅周辺は万博開催前ということもあり大型バスの発着ができないような状況だったようで、摂津富田から運行されていました。

自宅から学校まで二時間有することになり、また、クラブ活動もしていたので、友達三人で小さな家を借りていました。

学校周辺は、安威の民家以外食料品店が一件しかなく、後は田畑が広がっていました。新らしく大きな校舎、広々としたグランドで授業を受けながら一年間が過ぎ卒業しました。

そして、四年後生徒とは違った立場で桜の美しい追坂を上ることとなり、学校中心の生活が始まりました。「自主性・民主性・組織性を育てる」「生徒相互・生徒と先生の信頼関係を築いていく」「自分達の生活環境は、自分達で整えていく」という教育が、教科教育以外に展開されていました。このような教育は、私がそれまでクラスや学年で受けたことはありませんでした。小学校時代から体育、そのなかでも野球が好きで大学卒業まで、へたくそでしたが続けてきました。特に大学時代は、体育大学ということもあったのか技術のレベルが高い低いは関係なく、上級生下級生の関係は絶対的なものでした。

「カラスは白い」と上級生から言われたら、「はい、白いです」と答えなければならない環境で過ごしてきた私にとって、生徒教育の実践を考え直さなければならないようになりました。それが、私にとっての教育活動の始まりでした。

右往左往しながら、先生方や生徒達、そして学校関係者等々の数え切れない多くの皆様に支えていただき、約40年が経過し、もうすぐ美しい桜が咲く追坂を平成23年3月に下りました。

自宅と学校との往復を繰り返していた毎日の生活から、家庭・地元中心の新しい生活が始まることになりました。

人とのかかわりを大切にして、今まで知らなかった周りのことを覚えていこうという毎日が続いていた頃、知人からソフトボール、卓球、テニス、麻雀、カラオケなどのサークルに誘われましたが、老人会のクラブ活動のひとつであるグランドゴルフ部に入会しました。

会員数は40名を超え、毎週月・水・金の3日間、朝9時から11時近くまで雨天でない限り近くの河川敷で、健康の保持増進を目指しながら楽しくプレーしています。

私より年輩、しかも町会(自治会)の役員をした人達がほとんどで、いつか回ってくるだろうと覚悟していたら、きっちりやらなければならないようになり4年間務めました。

もう終わったと思っていたら、老人会の役を頼まれて、なんやかんやでのんびりできない毎日が続いています。しかし、体力の低下が実感できる年齢となり、グランドゴルフの運動量が丁度いいようになってきました。

日々の行動目標を設定し、充実した一日を過ごせるように心掛けています。

自宅の近くには、江戸時代の面影を残す寺内町があり、土・日・祝日には、多くの観光客が訪れています。少し遠方かも知れませんが、機会があれば、ぜひお越しください。

お会いして懐かしい思い出を語り合いたいと思っています。

2021年10月18日  平田 勝一