小学校95期 梅田 佳子
李方子様の生涯をオペラ化された作品。
日本の皇族、梨本家の娘・15歳の方子様が朝鮮王朝最後の皇帝 李垠(リギン)殿下との結婚を新聞で知ったことからはじまります。政略結婚とも言われましたが二人は真実の愛をはぐくみ幸せな結婚生活を過ごすことになりますが、長男李晋様を3歳で亡くされます。また関東大震災では罪のない朝鮮人が殺傷される。太平洋戦争は終わるが2人は皇族の身分も国籍も失う。終戦後18年を経て漸く韓国に渡ることができましたが李垠殿下の逝去。度重なる苦難の中でも、挫けることなく前向きに福祉活動に身をささげ、李垠殿下亡き後も日本と韓国の両方の祖国を大切にされ、最期は「韓国の母」と呼ばれました。李方子様最後の書の「和」という美しい一文字に残された言葉に沢山の事を感じ考えさせられました。
~歴史書も沢山ございますので、
これからは…ご子息 李玖(リキュウ)殿下のお話しを。
李玖殿下は、私達の母校追手門学院の前身である大阪偕行社附属小学校に通われておられました。とんでもなく遠い存在のお方を たったそれだけのつながりだけで、現代人の私はおそれ多くも勝手に親しみと嬉しさを感じています。
会場となったドーンセンターは、以前は大手前会館で、その前は 大阪軍人会館でした。追手門学院の隣にある…これも何かの縁です。
☆李玖殿下のご学友 大西様&山徳様とお会いして・・・李玖殿下のお話し
終演後、大阪偕行社附属小学校55期生で李玖殿下のご学友「い組」大西様&「ろ組」山徳様と会場でお会いしお話しすることができました。
◇「山桜会が後援していると知らなくて、会場がガラ空きだったら…と、思って、 い組代表 と ろ組代表 で、たった2人だけど来させてもらったんだよ 、満席で良い劇でした」と、温かく、沢山の思い出をお話ししていただきました。
会場に飾られていた李玖殿下の在学時の写真パネルは、大西様が卒業アルバムをお貸しくださり複写したものです。
◇当時は、い組とろ組の2クラスで、李玖殿下は「ろ組」だったとの事。
「ふつうで考えたら い組 とおもうでしょう。それは、方子妃殿下の学習院時代のご学友の方がろ組の保護者におられたから~ というのもあるみたいなんだけどねー」
◇運動会では、先生方から「絶対に殿下の前を走ってはならぬ!」という圧があったにもかかわらず、同級生数名が「絶対に勝つ」と威勢よく走るぞーと企んでいたようです。が、殿下の走るのがめちゃくちゃ速くて、ダントツ一位、誰も追い付けなかった。写真を良く見てみると、先頭の殿下は笑顔で爽やか~二番以降の生徒は必死の形相が見られます。
◇同級生が、李玖殿下に親しみを感じようとあだ名で呼んだ時、担任の先生に当時の3F建ての校舎の3Fから殴り落とされて、こけたらそこからまた立たせて殴り落とされて 1F迄殴り落とされ続けて、そこからまだ職員室迄殴られ続けて、職員室に入ったら 他の先生方にも殴られて 顔がものすごいことに腫れていた~ 。でも、その同級生は1日も休まず登校してきた。昔の先生は皆 陸軍だからね~ と。さすが昔の先生はめちゃくちゃコワカッタようです。
私のような初対面の後輩が お話させていただくのは本当におそれ多い大先輩でいらっしゃるのに、やっぱり追手門(偕行社)の先輩はお優しくて、そして丁寧にお話ししていただきました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、何より美しい日本語で話されるのが印象的で、沢山の事を勉強させていただきました。大西様 山徳様 有難うございました。
☆ 大西様からのお手紙・・・李方子妃殿下、李玖殿下のお話し
「ザ・ラストクイーン」の公演後、一週間程経った頃に、大阪偕行社附属小学校55期生で李玖殿下のご学友「い組」大西様からお手紙を頂戴いたしました。
◇在学中李玖殿下が転入されてこられた時、妃殿下のお美しさは我々同級生の間だけでなく学校中の評判になっていました。しかし実際に妃殿下をご覧になった人は殆ど居ず、噂だけが駆け巡っていたのが実際です。大体妃殿下が学校にお越しになる事が、運動会か学芸会くらいしかなく その時でも、遥か数百m彼方からお姿を遠望するのみですからお顔を見れる筈もなかったのです。
ところが偶然私にチャンスが訪れました。小学校3年生の学芸会の時です。クラスで2人作文を読むのに選ばれたのです。講堂の壇上にて2人交替で読むのですが、隣の友人が読んで居る時、直立不動で立っている斜め下10mの所に両殿下がデスクの後に端然と座っておられました。「見たい、見たらイカン、上から皇族を見るなんて非礼極まる、先生に見つかったら怒られる、しかし今しか見るチャンスなんか2度とない」と激しく葛藤!しかし結局一瞬だけ妃殿下を見て、直立不動に戻りました。その印象は今も忘れられません。お顔よりその姿勢です。お座りになられた時から何時間も全く微動もされていない様に端然とお座りになっておられる、皇族としての躾を完全に身につけておられると感心しました。今でも時々そのお姿を思い出しています。
◇李玖殿下は卒業後、お目にかかった事があります。昭和30年代の事です。貿易商社に就職、初めて韓国に出張した時、相手の会社の社長が自分を試す様に「大西さんは、韓国に何回来ましたか、韓国の友人はおられますか?」と聞かれ、驚かしてやろうと思い「李王朝の末裔の李玖様は私の同窓、同級生です」と話し、社長はびっくり仰天。「あの方は今、昌徳宮に住んでおられる、是非会って行きなさい」と云われ手配をしてくれました。数日後南山ホテルでお会いし、一緒に食事をしました。お陰で仕事は順調に運びました。
その後、李玖様が来日されたとき同期ろ組の人達がリーガロイヤルホテルで歓迎会をされ、い組の自分も参加させてもらいました。
李方子さんのオペラを一緒に観劇した山徳君は当時ろ組で李玖殿下のご学友に選ばれていたが、李王家と、ご学友達とその母上方がお近付きのお食事会が催された事もあった由である。
~妃殿下がお亡くなりになった時は、国葬に準ずる盛大なご葬儀が催されたことは本当に嬉しく、現在の日韓の関係を考える時、全く感無量で隔世の感がある。このご葬儀の昔に戻したいものである。 大西義夫 (偕行社小55期)
大先輩から李玖殿下のお話しをお聞きすることができ、そして李方子妃の美しい心、真のクイーンであることを知り、私にとって貴重で素敵な1日となり、また「和」の心の大切さを考える1日となりました。