岩 﨑 裕 保 (大手前中高1976年4月~1991年3月 勤務、14期生)
大手前中高の英語教員になって、恩師の森敬繁先生と机を並べて仕事をするようになったことは嬉しくもあり身の引き締まる思いでした。在職中は、「文法をよく勉強しなさい」とアドヴァイスしてくださったり、「もっと読みなさい」と読み終えられたNEWSWEEK誌などを手渡してくださいました――僕の弱点をよくご存じで、やはり頭が上がりませんでした。晩年、ご自宅に招いて下さり、蔵書の中から「欲しいものを選びなさい、送るから」と言っていただいたことは、ほんとうに光栄でした。
初めて教えた高1(27期)生が、僕に”スナフキン”というニックネームをくれました。今でも大いに気に入ってます。81年3月には日本ユネスコ協会連盟のアジア研修プログラムに、学習院・筑波大付属・帝塚山学院の高校生と共に大手前のユネスコ部の学生も参加し、その引率でタイのスラムや難民キャンプを訪れました。追手門での最終日(3学期の終業式)には「もう一度授業を!」と高2(40期)生が集まってくれて、「最後の授業」の機会を得たことは忘れがたい思い出です。自責・自戒を覚えることもありましたが、意味ある15年を学生諸君と分かち合えました。
大学の教員になってからは、「平和研究」「国際協力論」「NGO/NPO論」「環境社会学」などの講義と「グローカル社会論」ゼミを担当しました。加えて、市民としてNGO活動にいっそう関わるようになり、今も「開発教育協会(DEAR:Development Education Association and Resource Centre)」顧問と「関西NGO協議会」監事を務めています。このところの活動の軸はSDGsです。
環境・人権・平和・開発などのグローバル・イシューを学習に取り入れる「開発教育」に1980年代末頃に出会い、京都の修学院にある関西セミナーハウスでの「開発教育研究会」に参加し、やがて運営を担うようになりました――このグループでまとめて出版した教材集は4冊(『新しい開発教育のすすめ方』Ⅰ・Ⅱ古今書院、『身近なことから世界と私を考える授業』Ⅰ・Ⅱ明石書店)あります。その後、東京に事務局がある全国組織の開発教育協会の役を担うようになり、08~13年度は代表理事を務めました。また、「とよなか国際交流協会」の評議員・理事を務めたり、途上国からの研修生を受け入れるJICAのプログラムの講師を務めた時期もありました。
阪神淡路の地震のあとで「毎日国際ボランティア大学」が開催され、そのプログラムの一環としてビルマを訪れ、96年3月5日10~11時に、まだ自宅軟禁中だったアウンサンスーチーさんと会見し、その様子は4月3日の毎日新聞夕刊が一面を割いて詳しく報じてくれました。02年夏(8~9月)にはヨハネスブルグで行われた「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」に参加しました。年末にはWSSDの成果の一つである「持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)」の日本の組織ESD-Jの立ち上げにも関わりました。03年の秋には韓国大統領府で行われたESDのアジア会議に参加しました。
そのほか、アメリカ・カナダの開発教育の調査、マーシャル諸島での核被害などの調査、学生や教員を引率してのニュージーランドや英国での研修や調査、オランダや英国でおこなわれた「欧州グローバル教育会議」への招聘参加、日独文化交流150周年記念のプログラム参加と交流、そしてブータンやネパールなどへのスタディ・ツアーなど、国外での多くの活動がありました。追手門の夏休みの研修の引率でニュージーランドに行ったこともきっかけとなり、人生の後半にはニュージーランドの人びととの交流が多くなり、とても刺激を受けています。特に、非核ニュージーランドの思索と実践には学ぶべきものが多く、また穏やかで自律的な暮らしぶりもステキです。研究者だけでなく関心のある人なら入会できる「ニュージーランド学会」の設立にも関わりました。
国内では沖縄から北海道まで各地でさまざまな人たちと出会い、語り合い、分かち合ってこられたのは、とてもありがたい経験となっています。札幌でアイヌの人たちと一緒におこなったワークショップや、小豆島でのフィールド・スタディーズ、今立(現越前市)での和紙を軸にした研修などは思い出深いものです。グローバルとローカルは別のものではなく繋がっているという認識が、僕にとってはとても重要です。
こうした接触・交流を通して、『地球市民教育のすすめ方:ワールド・スタディーズ・ワークブック』(明石書店)、『非核と先住民族の独立をめざして:太平洋の女性たちの証言』(現代人文社)、『グローバル・ティーチャーの理論と実践:英国の大学とNGOによる教員養成と開発教育の試み』(明石書店)などの翻訳本を出すことができました。また、共著ですが『地域から描くこれからの開発教育』(新評論)、『開発教育:持続可能な世界のために』(学文社)、『環境教育と開発教育:ポスト2015のESDへ』(筑波書房)なども出版しました。
数年前には『花森安治と「暮しの手帖」』(小学館)を友人といっしょに上梓しました――『暮しの手帖』は小学校のころから親しんでいる雑誌です。定年退職後は奈良の町中に転居しました。この5年ほどは、自分で生豆を焙煎してコーヒーを淹れる毎日です。