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恩師のいま 〜 伊勢田善昭先生(小学校)

伊勢田善昭

昨年6月に喜寿(77歳)を迎え、介護も受けず、認知症にもならず健康で元気に過ごしている。

追手門学院小学校に縁があって22歳の時に奉職し、62歳で退職するまで、追手門一筋40年間(担任として20年、総務・教頭・校長として20年)全力で走り抜けた。

今思い起こせば、着任当時は若さにまかせて一生懸命のあまり行き過ぎたことも多くあったが、保護者の方々の若い先生を育てるという暖かい目で見て頂けた。このようにスタートして、現在の教育事情と違った良き時代に、多くの楽しい思い出と共に充実した教員生活を過ごさせて頂けたと思う。

 

『担任時代』 ※悪戦苦闘と新しいことへの挑戦の日々、その一部を

〇大阪城早朝マラソン(極楽橋で内堀の鯉に、大手門で鳩に餌をやりながら)☆82期1・2年

〇男女合同の造形体操(100年を超える中で1回だけ・全てに大変だった)☆84期生5・6年

〇日記(毎日時間との闘い。A君のお父さんが1年分を製本された。感激)☆86期生1・2年

〇体育大会・水泳大会・球技大会(マラソン、リレー等すべて完勝)☆90期生1・2・5・6年

〇個人懇談(ある保護者から人生観・教育観まで問われ勉強になった)☆92期生1・2年

〇隣のクラスのやんちゃ坊主Y君を預かる ☆93期生4・5・6年

〇学習合宿(それまで6年冬休みにしていたのを10月に、平常授業と並行して放課後上本町2丁目の宿舎に移動し実施。予想以上の激務、手ごたえはあったが、先生はみんな死にそうだった)☆95期生5・6年

〇2年生で教科担任制(梶田・森先生と国、理、社の)101期生1・2年

〇職員劇(川人先生が提案、第1回公演 校長・教頭先生はじめ先生方総出演。講堂超満員、先生の劇なんてどこにもないだろう。現在も継続)☆就任1年目

 

『教頭・校長時代』 ※伝統の継承と新しい教育の創造へ

〇100周年・110周年記念事業北館、本館建設を建設委員長として、また、120周年西館建設には校長として基本設計まで全力を尽くした。教職員、設計会社、建設会社が一体となって、子供たちにとって最高の教育環境と風格のある校舎づくりに取り組み、完成後は高い評価を受けている。これも卒業生、保護者を始め多くの方のご支援のもと、素晴らしい校舎建設を成し遂げたことは誇れると思う。

〇校長室の開放(校長先生と話す会、多くの子供の夢の話を聞きました)

〇PTA文化教室の開設(コーラス・英会話などは本校の講師の先生、お父さんのゴルフ教室では保護者の長田敬市プロ、バドミントンでは全英複チャンピオン植野恵美子さんと一流の講師陣を招いてスタート)

〇追手門幼稚園との連携(入試においてプレテストの実施)

 

『同窓会』

山桜会が企画された還暦同窓会で82期生、出会って半世紀同窓会で86期生、50歳同窓会で93期生の皆さんと久し振りに接することができ、楽しい時間をすごせた。90期生の同窓会を自宅で開いたこともあった。教え子たちが立派に社会で活躍している姿を見て、先生という職を選んだ幸せを感じる時です。

 

『ゴルフと共に』

36歳から始めたゴルフ。その魅力にはまり、頑張った成果として、次のゴルファーの夢を達成させた。

  1. ホールインワン(3回)
  2. シングルプレイヤー(58歳時・現在ハンディ5を維持)
  3. 倶楽部のチャンピオン(シニア、グランドシニア4回)
  4. エイジシュート(現在まで25回)

退職して早や15年が経ち、今はゴルフ三昧の日々を過ごしている。退職後、数年間は150日近くラウンドしたが、身体が悲鳴をあげ、ドクターストップにもなった。それからは100日程度になっている。

海外ではゴルフの聖地イギリスのセントアンドリュースを始め、ハワイ・オーストラリア・ニュージーランド・タイ等でのラウンドを経験し、また国内では廣野・川奈・御殿場・フェニックス・小樽等有名なゴルフ場はほとんど回った。

ところが、ずっと悩むことがなかったゴルフに、ドライバーイップスという難儀な病にとらわれた。飛距離を落とさないために色々やり過ぎたことが原因だと考えているが、今も突然現れるこのイップスと向き合いながら楽しむこととする。

ただ、コロナのため、ここ2年間は遠征ゴルフ旅行が少なくなり、早く終息して元に戻ることを願っている。これからの残された人生、❝生きてる限りは青春だ❞と、いつまでも心は若く、素敵な多くのゴルフ仲間や金婚式を迎えた妻と共に、まだまだ新しいゴルフ場との出会いを求め、目標は大きく100回のエイジシュートを目指して生涯現役ゴルファーとして頑張ります!

最後に、追手門学院の益々の発展と山桜会の更なるご活躍を願っています。