トピックス , 卒業生からのご案内

不明者リストを見て 金城平八郎

不明者リストを見て 金城平八郎

私は昭和17年に偕行社学院に入学し、6年1学期迄在学しましたが、卒業を目前にして、涙を呑んで三重県の小学校に転向した小59期の金城平八郎です。

山桜会のホームページを初めて開けてみました。この私が山桜会の一員である事を知って飛び上がらんばかりに喜びました。そして私が住所不明扱である事も分かり、このようにお手紙を差し出している次第です。

同封の写真は、私の部屋の壁に掛けてある写真です。

制服制帽の小学1年生当時と、2年の夏の制服で父と奈良に行ったときの記念写真です。私の生涯で最も大事な写真です。

小59期生の同窓会会員名簿が昭和19年即ち小学校3年時を基準にして下さっている山桜会のご高配に心から感謝致します。

昭和19年、私たちが小学校3年の時に、米軍空襲から避難するために学校疎開することになり、同級生の1/3は断腸の思いで偕行社を去りました。

池口小太郎君(堺屋太一さん)もその一人だったと思います。

ともかく3年次を基準にして同窓会名簿を作成して下さったことに重ねてお礼を申し上げます。

小59期 金城平八郎

021220-s6kanashiro

小59期 金城平八郎


* 金城平八郎さんは、12月6日に行われました理事会におきまして3号会員として承認されました事をご報告申し上げます