登録有形文化財の「懐石の宿」で京懐石を楽しむ
日時:平成14年10月11日、12:30
京都「近又」(きんまた)にて
享和元年、近江屋又八が京にひらいた商人宿。典型的な京町屋の風情を伝える「近又」。
クラス会の状況を2回まとめて報告します。
私たち44期生は、卒業70年、一同80歳を越えました。48名いた同級生も戦中・戦後つぎつぎと減って行き、今年さらに2名の訃報に接しました。現在確実に連絡のとれるのは9名に止まります。しかし、その中から7名のメンバーが2回とも集まれたのは喜ばしい限りです。
「夜はしんどいから昼にやれ」とか「座るのはかなわんから椅子にしてくれ」とか、いろいろ注文が多いのですが、顔を合わせれば昔話に花が咲き、元気で再会することを約して別れるのが毎回です。
京都ざい在住の長い小山君の世話で、京懐石を楽しみました。
創業190年を記念して作った椅子席もありますが、特に頼んで奥座敷に古風なテーブル・椅子をしつかえて貰い、出席者 期せずして御前会議(ごぜんかいぎ)みたいやなぁと言い合ったもの、年がわかると笑った次第。
本懐石となると手が出かねますが、昼懐石なら丁度手頃。七代目又八、鵜飼治二さんの料理はさすがでした。
楽しいひとときを過ごして、来年は卒業70周年。母校の新校舎を訪ねる計画を話し合って別れました。出席者7名+山村夫人。
前列右から 矢野、山村、同夫人
後列右から 京極、井上、佐藤、鈴木、小山
卒業70周年を記念して母校を訪ね、往時を偲ぶ
日時:平成15年12月8日
追手門学院小学校11:00 帝国ホテル大阪13:00
小学校在学中の4年生の時(昭和5年7月21日)校舎が全焼しました。仮校舎で不自由な思いをしましたが、昭和7年、新設の校舎で6年生を終えて、昭和 8年に卒業したわけです。その校舎が改築されるということで、平成8年11月に母校を訪問して旧校舎にお別れし、今回やっと改装なった新校舎を訪れることができました。
3代にわたる校舎の変遷は、そのまま私たちの小学生時代に結びついて、つぎつぎと昔を思い出すことでした。
伊勢田校長先生に校舎をご案内していただき、新しい設備が盛り込まれている中で、往時を偲ばせる配慮が要所にはかられていることに感心しました。
特に本館正面のフェザードがそのままの形で残されていることは、昔の面影を偲んでなつかしい限りでした。
また、記念室で私たちのときの「学籍簿」を見せていただき、よく残っていたものと驚きました。矢野君が6年間無遅刻無欠席の記録を持っていることも初めて知ったことです。
校長室には、創設者高島鞆之助中将と並んで、片桐武一郎先生の写真が掲げられていました。片桐先生が校長として行われた数々の教育活動が、現在の追手門に脈々と受継がれていると聞きます。伝統を受継ぎ、新しい施策を加えて、国際化の時代の教育を進めているとの校長先生のお話に一同感銘しました。お忙しいところ時間をさいていただききありがとうございました。
小学校から場所を天満の帝国ホテル・大阪に移し 大川端の冬景色を眺めながら久しぶりの歓談。残念なのは、この8月に島津君と古沢君の2人を相ついで失ったこと。
古沢君といえばクラスで一番体格もよく、元気だったのにと級友を偲ぶことしきり。
残るものは、元気で来年は京都でと約して、東京へ金沢へと帰りの列車の時刻に合わせて解散しました。
ら 京極、井上、佐藤、鈴木、小山
左より 小山・井上・佐藤・矢野・山村・京極・伊勢田校長先生