小学校(過去掲載分) , 恩師のいま(過去掲載分)

祖父と偕行社と追手門 追手門学院小学校  東田 充司

卒業生の皆様、お元気でいらっしゃいますか。私は奉職して20年になりました。95・97・99・103・105・107期生を卒業させ、本年度は116期3年生を担任しています。大阪城を臨む学び舎から、皆様のますますのご活躍を祈念しております。

私が初めて追手門の名を知ったのは小学校時代です。南海(現阪堺電軌)上町線で小学校に通学していた車内で毎朝一緒だった、姿勢の立派な赤ネクタイの子が追手門学院小学部の子どもだったのです。揺れる車内で微動だにしないキリッとした革靴・制服姿の子どもが、実は私と同学年と知って驚いた記憶があります。

私の祖父は小学校の校医でいつも小学校に行くことを何よりの楽しみにしていました。私が小さい頃から小学校教員になる夢を持っていたのは、子どもが好きでいつも優しかった祖父の存在が大きいのですが、元陸軍の軍医だった関係で、事ある毎に大阪偕行社附属小学校で行われていた教育の素晴らしさを教えてもらっていました。それは軍医としての見聞によるものは勿論、医師仲間の卒業生の素晴らしさによる話が多かったです。生前は最年長現役医師というタイトルで新聞にも紹介された祖父でしたが、『世のため人のために役立ちたいから、死ぬまで現役医師で』という思いの根底には、大阪偕行社附属小学校卒業生の医師仲間への憧れもあったようでした。

縁あっての追手門への奉職が決まった夜、祖父は泣きながら喜んでくれました。その後も休診日にはよく大手前を訪れ、大手前中・高の正門や小学校本館が偕行社時代そのままなことに大いに満足していました。偕行社と追手門に脈々と流れる栄光と伝統を語る時、先賢諸氏の努力を十分に理解し感謝すること、学校のさらなる発展の為に日々の精進を忘れてはいけないことをいつも聞かされました。多くの卒業生の他にも偕行社と追手門のファンは多く、大阪市民の誇りになっているから、太閤秀吉さんの大阪城も追い抜くつもりで頑張りなさいとも言われました。

3年生の社会で子どもたちは追手門の歴史を学びますが、教員も先輩教員から徹底して歴史を学びます。その際に伝統を守ることは、まったく同じことを続けることではないと強調されます。常に進取の精神を念頭に、子どもたちを取り巻く環境を知り、柔軟に変える勇気を持って伝統を守り育てなさいと教えられます。

片桐武一郎校長先生時代の四半世紀、建学の理念をより発展させる為に多くの新たな試みがなされ、大阪偕行社附属小学校の名声はさらに確固たるものになりました。追手門学院小学校では今でも頑固なまでに礼儀に厳しい「古い学校」ですが、国際教育や情報教育に代表されるように常に「新しい学校」である側面も併せ持っています。皆様方の母校である偕行社と追手門が今まで同様日本の私立小学校教育界のリーダーの一校として活躍し、今後共益々発展する為に微力を尽くす所存です。

なつかしの旧本館は、創立110周年を機に110記念ホールや屋上プールをはじめとする新本館に生まれ変わりました。デザインにも教育内容にも伝統を生かしているので、天国の祖父は許してくれると信じています。

ただ、市電時代は「偕行社前」だった停留所名が「京阪東口」(今はバス停ですが)に変わっていることを残念がっていたことは、ちょっと気掛かりなままです。大阪市交通局関係の方がおられましたら「追手門前」をお願いしてみようと思うのですが、いかがでしょうか・・・。

2002年2月13日