(公財)原総合知的通信システム基金の創設者であり前理事長の故原信太郎が創設した原鉄道模型博物館からのお知らせです。
原信太郎氏(原 丈人 小76期の父)は鉄道模型を生涯の友とし、素晴らしい鉄道文化遺産を残されましたが、その中の「或る列車」という模型を、今年JR九州様が「スイーツ・トレイン」として復活されました。 実際の「或る列車」は明治時代の私鉄九州鉄道がアメリカに発注しましたが、納車された時には同社が国有化されていたために、一度も営業運転されることがありませんでした。日本で最も豪華な客車とも言われましたが、その姿を見た人はほとんどいなかったのです。
しかし、乗り心地のよい三軸ボギー台車の構造は機構的にも日本の鉄道技術に大きな影響を与えました。
大正末に全国各地に一両ずつ散らばり、昭和初期には職用車(研修車など)として改造されました。
そのうちの一両、関東地区に配属されたものを、原信太郎氏は少年時代に田町の操車場で発見し、大変感激して夢中でスケッチしたと言います。
「鉄道趣味」という雑誌に「或る列車」というロマンチックな名前で紹介されたのは昭和10年(1935年)。以来、鉄道趣味人の間ではミステリアスなこの名前で知られてきました。
時を越えて2000年に、信太郎氏はこれを模型として完成しました。
模型化しようとしてから、ステンドグラスなどの模型化技術を見つけるまで7年かかったといいます。この時、集めた資料では全5両の作られた当初の細部は分からず、装飾などは信太郎オリジナルを工夫しました。実際は木製車両であったにもかかわらず、真鍮無垢の色を活かしたり、展望車の手すりを唐草模様にしたのも、多くの知見から取り入れたものなのでしょう。この模型は大変美しく、原鉄道模型博物館でも5両編成で展示されています。その模型「或る列車」が、実車として運行開始されました。原信太郎氏の模型の美しさに感動したJR九州様は、著名なデザイナー水戸岡鋭治氏の手を経てさらに素敵な車両を創造されました。
その物語が、このたびBSフジ 9月6日19時より「誰も知らない『或る列車』…「豪華スイーツ列車」として番組化されました。お時間があれば、是非ご覧いただきたくご案内いたしました。また、モデルとなりました「或る列車」模型も、一度見に来ていただければ幸甚に存じます。
原鉄道模型博物館 館長代理 針谷朱美