昭和49年4月初めて母校の教壇に立った。
舞い戻った時は、長い旅から帰って来た思いに駆られたものです。
その時、出合った生徒達はすでに42才になって、同じように母校の教壇に立っています。
昨年、クラス担任をしていたU君の父は14期生の親友の一人であったし、茨木の方で先生をしておられる同級の坂田君や松村(津村)さんがおられます。
また昨年度まで辻井先生は、退職後も教壇に立たれていました。
先輩では10期生の池田先生が理科の同僚としておられます。このような雰囲気は追手門ファミリーと言われる所以の一端かもしれません。
振り返れば無我夢中でやってきた28年間でありました。昨年、学院より永年勤続で表等して頂きましたたが、学院の教育改革の中でそれに見合う青務を全うしているのか、反省する好機だと思っています。
さてこの紙面を借りて母校の発展のためにお願いがあります。かって同級の川原君が晴れの弁護士になられたときに、クラスのホームルームで特別ゲストとして生徒達に弁護士への道として講演をして頂いたことがあります。その話しに感銘を受けた生徒達から素晴らしい人材が輩出しています。
この試みが現在、大手前中高では、インターンシップを初めとした様々な教育改革プランへと発展しています。山桜会の名簿を拝見すると、同級生の皆様は社会の中核で様々な活躍をされています。その経験や専門の話しを後輩達に伝えて母校発展へと結びつけて頂きたいと願っています。
2002年4月21日