恩師のいま(過去掲載分) , 退職OB/OG(過去掲載分)

フイッシング同好会のことなど 今倉 大

フイッシング同好会のことなど 今倉 大

フイッシング同好会のことなど 今倉 大

私が追手門大手前中・高に5っ目の職場として勤めさせてもらったのは、阪神タイガースが前回優勝した昭和60年(1985年)でした。熱烈な阪神フアンの竹内先生に丹波でマツタケをごちそうになったのを思い出します。

また、あの日航機が墜落して520人が死亡した年でもありました。ちょうど高1の海外研修でシアトルに滞在中で「ひろし、大変な事故がOsakaでおこった。」と夜中にホームステイ先でたたき起こされたのもこの年の夏のことでした。当時は高校生急増期とかで追手門も連絡通路に教室を増やしたり、教室定員を増やしたり、クラス数を増やしたりしていました。生徒数の増加で狭いところに大勢の生徒でしたがその分活気がありました。

いま校長職にある亀井先生とフイッシング同好会の顧問を引き受けました。釣りブームの頃で熱心な生徒が一杯いました。私は魚を捕まえる部門・亀井先生は魚類の論理的部門という担当でいろんな所へ釣りに出かけました。近場では淀川・岸和田・武庫川・宇治・友が島・琵琶湖等々、また夏の合宿では伊勢・舞鶴・鳥取・宇和島・小豆島・高野山・琵琶湖等などに出かけました。宇和島では鯛が持ちきれないほど釣れてクール宅急便で各自家に送ったりしたほどでした。

当時は女子生徒もかなりいて日本海で船釣りをした時は、その女子生徒が全員船酔いして「先生助けて、もう2度と船なんか乗れへん」と恨まれたこともありました。学校前の大阪城の濠ではおもに中学生の釣りの実習をやりました。実際は釣り禁止でしたが調査釣りということで許可をとりました。そんなおりNHKの番組で濠に舟を浮かべて調査中の風景を放映されたりもしました。

この同好会のもう一つの名物は錦城祭のときの「金魚すくい」です。亀井先生の紹介で松坂屋の屋上の熱帯魚やさんから金魚を仕入れて「金魚すくい」をやりました。きっと卒業生の中には「金魚すくい」の思い出を持っている者も多いと思います。その頃からいつも悩んでいたことは活動がしにくいということでした。魚が釣れるほど水がきれいなところがだんだん少なくなり、釣行はますます遠くに行かないとなりたたないということでした。

また、遠くに行くことは金銭的に負担が多くなり生徒が参加しにくくなってきました。目を 輝かせて釣りをする生徒の様子は学校での様子とはまた異なったものでした。追手門大手前にはフイッシング同好会があるから入学したという生徒も何人もいました。そんな生徒達にもっと釣りの機会を与えられなかったことがいまでも大変残念に思えることです。現在同好会がどのようになっているかはわかりませんが、たくさんの卒業生たちが夢を追ったこの同好会の活動が継続されていることを願うばかりです。わたしはこの夏、久々に宇和島に出かけて、かつて合宿したところで釣りを楽しみました。風景も魚も当時とおなじでした。真珠いかだの上になつかしい卒業生たちのおもかげを想像して一人で思い出にふけってきました。山桜会のHPでこの文を読んだ旧同好会員ぜひ連絡ください。ひまならまた釣りに行きましょう。

2003年9月6日