53期生16名は、7月21日~8月12日までの研修を無事に終えることが出来ました。今回は、諸事情のためホームステイ先を変更しました。シアトルより、車で約40分のギグハーバー(Gig Harbor)地区。昨年までのホーキアム地区よりも、シアトルに近く、勤務先がタコマ、シアトルという住民の多い地域です。地図を見れば分かるように、入り江が多く、緑にも恵まれています。シアトル、タコマのベッドタウンとして、定年退職後の住居として最適の場所となっています。私が5年前に48期生を引率した時とは違うアメリカの姿がありました。
7月21日(日)の午後、関西空港を出発、時差のせいで同日の朝にサンフランシスコ着、2時間後、シアトル行きに乗り換え、昼過ぎに到着。空港から出迎えの車で、スタディーセンター(ギグハーバーの、とある教会)へ。初日の簡単な授業の後、ホーステイ先の家族の紹介、そしてすぐに各家庭へ、生徒たちは連れていかれました。各家庭ごとの記念写真には、不安顔の生徒の笑顔が写っています。
それから、3週間の授業とホームステイ。家庭の不満、英語の不安、食事の文句はいつものこと。2週間もすると、すっかりなじんでしまったようです。日本では他人事の英会話。自分で、苦労しながら意思を伝えるという、すばらしい体験が出来たようです。
日本でいるように、黙っていては何も出来ない。”I want to …” の使い方が、身で持って分かったと言う生徒がいました。アメリカでは、家事の手伝いが当たり前、初めての経験をうれしそうに報告してくれる生徒も、そして得意の?手料理を振る舞って大げさな賞賛を受けた生徒たちも。
そして、「サヨナラパーティー」。「ウェルカムパーティー」とは違い、ディナーはすべて生徒たちの手作り。焼きそば、お好み焼き、カレーライス、おにぎり、そしてお味噌汁。料理の苦手な生徒は、会場の飾りつけ。ピザやフライドチッキンの出前を頼むことなく、全部ジャパニーズスタイルの手料理、お世話になったホストファミリーに喜んでいただいたようです。生徒の披露する、歌や踊り、日本の伝統芸?のアトラクション。特に好評だったのが、追手門音頭と習字コーナー。自分の名前を、漢字にしてもらうと、大人も子供も大喜びでした。(ex. ジムは「時夢」)
最終日、スタディーセンターでの別れは、涙。2回目の私も、83歳のホストマザー、フランセズにハグしたとたん、もうだめでした。生徒の胸中はいかばかりか。他人の家で、3週間の生活、まして会話は英語だけ。そんな中でも通じ合う人の気持ち。教室では見られなかった各家庭での経験は、彼らの一生の財産になったことでしょう。
国際化、グローバライゼーション。たった3週間でも、大きなきっかけとなることは、多くの先輩たちが証明しています。海外の高校や大学で学び、活躍するOB達。日本を訪れる中高生を受け入れてくださる、追手門の保護者の方々。この秋も、オーミストンから、ブルガリアから、そしてカナダからは1年間の交換留学生が本校にやって来ます。来年は本校から1年間留学する生徒を出す順番です。
普段の勉学とは別に、このような機会を今後も持ち続けていきます。幅広い人格と識見、指導的人材の育成、の一助になることを確信しています。最後に、「このような素晴らしい機会を与えてくれた親御さんに感謝すべきです。」と言っていた私のホストマザーの言葉を、生徒が実感してくれることを信じて、研修報告を終えたいと思います。
2002年11月19日