大手前学舎(過去掲載分) , 恩師のいま(過去掲載分)

56期林間学舎 大手前中・高 池田 晶一

鳥のさえずりが聞こえる蒜山高原における56期生の林間学舎は、梅雨明けの夏空に恵まれ、全員が元気で終わることが出来た。蒜山三座やジャジー牛が放牧されている牧場が目の前に見える国民休暇村の新館は、宿舎としては素晴らしい環境であった。

初日のウオークラリーは、2学期の地理的分野で学ぶ地形図の読図の爲に、全員に2万5千分1地形図を配布し、基本の説明をした。歩いたルートを正確に記入している子供が複数いたのは、嬉しいことであった。

2日目は、NHKテレビで本校が体験学習を実施する事が放送され、地元の人々は暖かく受け入れていただいた。午前中は野外活動で、①珪藻土・塩釜冷泉学習 ②ジャジーランド・酪農体験 ③三平山登山 ④林業体験 ⑤河川の自然観察の5班に分れた。

珪藻土は、会社の好意により露天堀を見学することができた。地表から数m下の珪藻土まで、時間にすると10万年の地球の歴史を旅することになる。珪藻土は75%の水分があり、10円硬貨を磨くとピカピカになったこと、10cmの地層が56期生の今までの人生よりも長い時間が必要であったこと、工場内の高熱で製品化している様子等は、貴重な学習であった。塩釜冷泉は、山麓扇状地の谷部に湧き出ており、あの美味しさは現地で飲んだ者にしかわからない。他の56期生にも夕食時に飲んでもらうために宿舎に持って帰った。

林業体験は、指導していただいた鳥取大学の先生の配慮もあり、枝切りやコースター製作等に汗を流した。この様子は午後6時10分からのNHKニュースで放映され、56期生は宿舎で見ることができた。

酪農体験は、畜舎の見学・搾りたての牛乳の試飲や家に上げてもらっての酪農の話は、酪農業地域ならではの内容であった。

三平山歩きでの植物観察と明連川での水生生物観察は、蒜山地域の自然を体験できた。空気を入れて持ち帰ってきた魚の説明をする子供の目は輝いていた。

午後のアイスクリーム作りは、説明を聞いた後にグループでの作業である。ミルク・シロップ・塩等を使用するが、テープで蓋の固定を失敗したグループの味は塩味であったが、ほとんどのグループは食べることができた。

夜の星座の観察では金星や北斗七星等、準備していただいた望遠鏡でも見ることができた。

最終日のカレーのはんごうすいさんは、自然林の中での料理になった。若千時間がオーバーした。帰路は、オオサンショウウオを見る時間をとった。古蒜山原湖の頃の栄養が、この大きさに成長している。

学校到着が1時間遅れたが、家庭連絡網も協力していただき、連絡の時間に保護者の方の顔を見ることができた。PTA実行委員の皆様、56期学級委員の皆様をはじめ、この林間学舎にかかわっていただいた全ての皆様に、感謝申し上げます。

上町学習

上町台地の北端に立地する本校は、総合学習として「上町学」を実施する。扱う地域は、大川(旧淀川)・淀川流域や道頓堀・大阪湾沿岸地域を含み、おおさか(大阪・大坂)の文化・歴史・グルメ・人物等の総合理解を目標とする。

旧大坂城地に立地する本校は、恵まれた多くの条件がある。正門から見える乾櫓は、その象徴の一つである。教室から見える天守閣は、黒と白の見事なコントラストである。極楽橋の東側にある石垣は、日本で最長である。西ノ丸庭園からは、豊臣秀吉時代の石垣が徳川時代の石垣の間にU字状に見ることが出来る。明治時代に政府が全国の城を壊す事を決めた時に、中村重遠氏等が残す為の努力をされた行動は、子供達には伝えたい人物である。中村氏の功績碑が姫路城に建立されている。最近、この地に最初に築城したのが織田信長であった事が発表された。興味深い論文である。

本校生が通学する上町台地北端の坂が、おおさか(小阪―大坂―大阪)地名の発祥地であることも恵まれた自然的・歴史的な環境である。大川が淀川の本流であり、造幣局が建立されている事も、大切な要素である。これらの条件を生かして、上町学習のカリキュラムを考えた。本校のエクシ-ド・バイオ・インタ-ナショナルの各コ-スで実施の予定であり、ポイントは教室での学習とあわせての実地学習(巡検)である。

大阪城・難波宮・四天王寺の地域は、世界遺産に該当する歴史遺産である。いずれ登録される事を夢見て、カリキュラムに入れる予定である。

淀川は、ワンド・ヨハンネルデレ-ケ・沖野忠雄等をメインに考えている。

ワンドは、粗朶沈床(そだちんしょう)の名残で、城北ワンド群には、イタセンバラ・ オイカワ等30種類の魚介類が生息している。

デレ-ケは「淀川対策の父」と呼ばれる人で、明治6年に政府の招きでオランダから来日する。「淀川改修工事計画書」「大阪築港及び計画書」を提出し、やく30年にわたり淀川の改修にたずさわる。河口に湾港をつくり、堤防を高くし、伏見から天満橋までを淀川本流となずける。

沖野忠雄は、日本独自の技術で改良工事をした時のリ-ダ-である。大阪湾へ新放水路を設ける事、毛馬に洗堰を新設して水量を調節する閘門の設置等の意見書を提出し、改修工事を行う。

淀川は、推古天皇の頃から大正時代までの1325年間に250回の洪水があり、数年に1回の発生である。明治・昭和時代にも、何回かの洪水が発生している。明治18年の洪水は、堤防決壊212・流失家屋26,121戸、死者293名の被害があり、淀川大改修のきっかけとなる。淀川を知ることは,[おおさか]を知ることになる。

この他には、銀座跡・小楠公碑・八軒家跡・天満宮・銅座跡・安井道頓碑・造幣局・愛染堂・清水寺・法善寺・心斎橋・高麗橋・適塾・高山右近像・教育塔・淀屋橋等、巡検するべき地域は多い。「おおさか」文化を学ぶ内容は多い。

皆様の協力を御願い致します。

上町台地

上町台地

2002年11月19日