大手前学舎(過去掲載分) , 恩師のいま(過去掲載分)

さようなら追手門大手前 大手前中高等学校 今倉 大

大手前中高等学校 今倉 大

大手前中高等学校 今倉 大

この3月末で退職します。17年勤めたことになります。昭和60年(1985年)3年間住んでいたフランスのパリからの着任でした。高校生急増期で各学年3クラス(各クラス46人前後)から4クラスへの増学級の時でした。その頃は日本経済も最好調のときでJapan as No.1(世界第1の経済大国としての日本)と、もてはやされた頃でした。思えばわが国が最高の時に本校に来て最低のときに離任するということになったわけです。

この17年間いろいろとありましたが、海外研修にずうっと関係していたことが、やはり一番の思い出です。私はアメリカに11回、ニュージーランドに1回、オーストラリアに1回計13回生徒と同行しました。おかげで海外にたくさんの友人ができたし、もちろん、生徒とともに多くの経験ができました。事故もなく無事に今に至っていることもありがたいことと思っています。

しかし、変な出来事とも出会いました。たとえば、カナダのバンクーバーから、大阪へ離陸した飛行機の中から一人の生徒が忽然と消えてしまったことがありました。確かにいっしょに搭乗して、離陸直前まで顔を見ていたのですから狐につままれたとはこのことです。それはこんなことだったのです。

当時まだ関西空港ができていなくて大阪空港は午後8時以降は騒音防止のために着陸禁止だったのです。当日満席で、かなりの数のオーバーブッキング(二重発券)が出ていたのですが、その整理をしていると飛行機が大阪に着陸する時間が午後8時以降になってしまうので、(なんと乱暴なことに)入り口近くに座っていた何人かの乗客を急用があると飛行機の外に呼び出して、飛行機はそのまま飛び立ったのです。

生徒達呼び出された数名は手荷物もなく取り残されたのでした。もちろん、翌日ファーストクラスで丁重に送り返されてきましたが、われわれは最初様子がわからなくて大パニックでした。(機長以下搭乗員はわざと知らないふりをして、飛行機が引き返されないところまできて事情を話したのでした。)この時取り残された生徒はいまは飛行機のパイロットをしています。不思議な体験が、かえって飛行機への関心を引き起こしたそうです。

その他面白いことやヒヤットしたことはまだまだありますが、それはまたの機会として多くの人たちの善意で成立しているこの海外研修に関係できたことは本当にありがたいことでした。この海外研修を出発点として多くの生徒達が海外へ巣立ったり、国際的な仕事にかかわっています。

当時大阪の学校で海外研修を実施している学校は本当に数校でしたから、この研修を企画した先輩諸氏に敬意を表したいと思います。ここから、今の本校の国際教育や海外修学旅行・ICコースなどが出発していることは諸氏のご存知のとおりです。私は好奇心旺盛ですから、宿泊はすべてホーム・ステイでした。しかし、ホストの2人がすでに鬼籍に入ってしまわれたことは悲しいことです。

多くのこのような思い出を持って今回退職してゆくことはさみしいかぎりですが、後輩の先生たちも新しい視野でまた新しい国際交流・国際教育を推進していっているのをここでバトンタッチできることを幸いと思います。いろいろと御世話になった方々ありがとうございました。

2002年2月14日