ドイツから参加した17歳の青年にとって、今夏は5回目のESLサマースクールとなった。過去4回は、イギリスをはじめヨーロッパ圏内で実施されたサマースクールに参加してきた。しかし、彼女にとって最も関心のあるアジア諸国からの参加者は、残念ながらほんの一握りであった。そこで、よりインターナショナルな雰囲気を味わうことの出来るプログラムということで、今年は、このWynchemna Language & Learning Centre のインターナショナル・キャンプへの参加を決めたのである。
事実、本校インターナショナルコース(IC)のこども達同様、はるばる太平洋を渡ってきた韓国・台湾・香港などの若者達、また大西洋を渡ってきたイタリア・フランス・ドイツなどの若者達、そしてメキシコ・ベネズエラなど中南米諸国の若者達が、カナディアンロッキーを目指して大集合していた。
国際感覚あふれるキャンプ生活が、悠久の大自然の中で繰り広げられたのである。もちろん、各々が母国語をしゃべっていたのでは、まさに「バベルの塔」の逸話どおり、騒々しい雑音にしか過ぎない。お互いの意思を伝えあう唯一の共鳴手段は、共通言語たる英語しかあり得ないのである。
それでも、韓国人の話す英語・イタリア人の話す英語・メキシコ人の話す英語等々には、それぞれユニークな特徴があり、慣れるまでに少なからず時間がかかった。そう言えば、丁度一年前のIC・シンガポール研修においても、シンガポール人の英語(シングリッシュ)の発音は、英国人教師・ベッキー先生のものとは少々異なっていた。いずれにせよ、ICのこども達は、英語の持つ国際性を嫌というほど体験することができたのである。
ところが、ESL(English as Second Language)とEFL(English as Foreign Language)の違いは大きい。我々日本人参加者にとって英語は外国語であり、ひとたび日本に帰国すれば、新学期にベッキー先生の英語の授業が始まるまでは、英語を使う環境はほとんど皆無に等しい。
これに比べ、台湾・香港・イタリア・フランス・ドイツ・メキシコ等から参加している青年達にとって、おそらく英語は第二言語としての位置を確立しているのであろう。ある程度のバックグラウンドを有しており、第一言語と第二言語との切り替えが、彼ら自身の中でしっかりと行なわれている様に感じられた。
「Can you speak English?」ではなく「Do you speak English?」の問いかけは、「外国語としての英語」ではなく「第二言語としての英語」を象徴するものであった。香港から参加していた16歳の青年は、至極あたりまえのことであるかの様に、アメリカの大学への進学意思を固めていた。
選択肢はこれしかあり得ないと言うほどの、傾注ぶりである。彼女の英語はとても流暢であり、高い目標をもつ者だけが放つエネルギッシュな輝きを感じ取ることが出来た。やはり、日本の英語教育は遅れている。
さて、追手門ICのこども達について、である。彼らは、シンガポール研修・カナダ研修と2年連続でEFL(ESL)サマープログラムに挑戦し、見事に大冒険の夢を果たすことが出来た。コミュニケーションにおいて、自己表現力のたくましさに少しずつ磨きをかけつつあると言うことが出来るのではないだろうか。
ただし、決まり文句的なフレーズや、英単語の羅列、身振り・手振り等に負うところが大きかったのも事実である。彼らが将来「第二言語としての英語」を確立していくためには、きっちりとした英文を完成する習慣をつけて、日常生活レベルで英語に馴染むことが、今後の課題となるであろう。
Wynchemna のローランド校長が、「3週間のプログラムの終わりには、英語で夢を見ることが出来るかもしれない」と言って、ICのこども達を激励したことがあった。引率教員として長期滞在した私も、幾夜か夢の中で、英語で問いかけられることがあった。しかし、「こういう場合は、どう言えばいいんだろう?」と、夢の中でも、日本語を英語に作り直していたのである。おそらく、順応力に優れる若いこども達は、夢の中で、(たどたどしいながらも)英語で即応していたことであろう。あるWynchemna の先生の「英語と母国語の両方で考えるからややこしくなるのよ。英語だけにしなさい!英語だけに!!」というアドバイスが、今も耳に残る。
カナディアンロッキーのコロンビア大氷原は、太平洋・大西洋・北極海の三方向への分水嶺を持つという。ある時、大氷原の最大氷河(アサバスカ氷河)に源流を持つ、雄大なアサバスカ滝を見学する機会を得た。「今は、ご覧の通り水の力が勝ち誇り、爆流となっている。しかし、いつの日か、大自然・ロッキー(岩々)の力がまさり、水の流れを堰き止めることがあるかもしれない。」と案内板に謳われていた。見聞を広めることは、実に愉しい。
2002年11月19日