大阪城スクエアアドバンストリサイタル 山寺由利子メゾソプラノリサイタル
~演奏活動20年という節目に際して~ 大手前40期山寺由利子
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追手門学院大手前の中学校舎の窓からはどこの教室からも大阪城が見えます。私は中学2年生から編入しましたが、教室から見えた大阪城の景色に感動したのを覚えています。
そして、学年が上がると、その景色は少しずつ高くなり、中学3年生の教室がある階の一番端から見える大阪城はまた格別でした。
そして、時が経ち、教員として6年前に帰ってきて、大阪城スクエアに初めて行ったとき、そこから見えた大阪城の景色の素晴らしさは、「美しい」とか「圧巻」とかいろんな表現を総動員しても足らず、感じたことは、とても純粋に、こんな素晴らしい大阪城のある大阪に生まれたことと、追手門学院大手前中高等学校の一員であったことへの感謝でした。
追手門学院大手前中高等学校を卒業後、神戸女学院大学音楽学部において声楽を学びましたが、本当のところ、受験生のとき、音楽という専門的な大学を選び、将来の道を「声楽家」とすることに少し迷いました。音楽を極め、「声楽家」という「文化人」を目指すことに自信がなかったんだと思います。
5年前、山桜会の方からお電話をいただき、思いがけないお話をいただきました。「追手門の履歴書という本の~文化人編~への執筆をお願いできないでしょうか」。わたしなんかでいいのかという気持ちと一緒に、20年前私が目指したことは少し花が開いたきたのではないかと思いました。また、どうしても経済的な成功が優先する現在の中で、母校が「文化人」というカテゴリーを大事にしてくださっていたことを本当にうれしく思いました。
そして、このたび、そんな母校が主催する「追手門学院 アドバンストリサイタル」で演奏活動20年という節目のリサイタルを開かせていただけるチャンスをいただきました。今までも様々な場所で演奏をさせていただいてきましたが、今回のリサイタルは格別な思いで臨み、準備を進めました。もう2度とない20年という節目。そしてその場所が、私を育ててくれた母校という場所。私には十分すぎる、20年目のご褒美でした。
当日は200名近くの大勢のお客様にきていただくことができました。そのほとんどの方が山桜会のご関係者で、追手門学院大手前を卒業した「文化人」としての私の演奏に耳を傾けてくださいました。どうやったらうまく演奏できるか、ということよりも、今まで一番、「感謝」という気持ちが心を占めた演奏させていただきました。
「文化人」は死ぬまでずっと勉強が続きます。ゴールはありません。また皆様に聴いていただけるように、研鑽を続けていきます。「文化人」というカテゴリーを認めてもらえる場所はもしかしたら、今の日本には少ないのかもしれません。ですが、今回、母校に「文化人」として迎えていただけたことへの感謝を忘れることなく、もっと、追手門学院大手前中高等学校を卒業した文化人として、羽ばたいていきたいです。
最後になりましたが、田口会長はじめ、今回の演奏会を支えてくださった山桜会役員の皆様、演奏会運営にご協力いただいた大阪城スクエアの皆様、そして何より、ご来場くださった大勢の山桜会会員の皆様に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。