竹林真 のすべての投稿

恩師のいま 〜 平田勝一先生(茨木中高)

私の母校でもある追手門学院中・高等学校は、大阪市東区にあり、毎日天王寺から府庁近くの京阪東口まで市電にのり、通学していました。昭和42年に二年間大阪城を横に見ながら学んでいた大手前学舎から、前年開学した大学のある茨木市西安威の地に移転しました。

最寄りの駅は国鉄茨木駅で学校まで約4㎞離れており、スクールバスを利用しなければならなかったのですが、駅周辺は万博開催前ということもあり大型バスの発着ができないような状況だったようで、摂津富田から運行されていました。

自宅から学校まで二時間有することになり、また、クラブ活動もしていたので、友達三人で小さな家を借りていました。

学校周辺は、安威の民家以外食料品店が一件しかなく、後は田畑が広がっていました。新らしく大きな校舎、広々としたグランドで授業を受けながら一年間が過ぎ卒業しました。

そして、四年後生徒とは違った立場で桜の美しい追坂を上ることとなり、学校中心の生活が始まりました。「自主性・民主性・組織性を育てる」「生徒相互・生徒と先生の信頼関係を築いていく」「自分達の生活環境は、自分達で整えていく」という教育が、教科教育以外に展開されていました。このような教育は、私がそれまでクラスや学年で受けたことはありませんでした。小学校時代から体育、そのなかでも野球が好きで大学卒業まで、へたくそでしたが続けてきました。特に大学時代は、体育大学ということもあったのか技術のレベルが高い低いは関係なく、上級生下級生の関係は絶対的なものでした。

「カラスは白い」と上級生から言われたら、「はい、白いです」と答えなければならない環境で過ごしてきた私にとって、生徒教育の実践を考え直さなければならないようになりました。それが、私にとっての教育活動の始まりでした。

右往左往しながら、先生方や生徒達、そして学校関係者等々の数え切れない多くの皆様に支えていただき、約40年が経過し、もうすぐ美しい桜が咲く追坂を平成23年3月に下りました。

自宅と学校との往復を繰り返していた毎日の生活から、家庭・地元中心の新しい生活が始まることになりました。

人とのかかわりを大切にして、今まで知らなかった周りのことを覚えていこうという毎日が続いていた頃、知人からソフトボール、卓球、テニス、麻雀、カラオケなどのサークルに誘われましたが、老人会のクラブ活動のひとつであるグランドゴルフ部に入会しました。

会員数は40名を超え、毎週月・水・金の3日間、朝9時から11時近くまで雨天でない限り近くの河川敷で、健康の保持増進を目指しながら楽しくプレーしています。

私より年輩、しかも町会(自治会)の役員をした人達がほとんどで、いつか回ってくるだろうと覚悟していたら、きっちりやらなければならないようになり4年間務めました。

もう終わったと思っていたら、老人会の役を頼まれて、なんやかんやでのんびりできない毎日が続いています。しかし、体力の低下が実感できる年齢となり、グランドゴルフの運動量が丁度いいようになってきました。

日々の行動目標を設定し、充実した一日を過ごせるように心掛けています。

自宅の近くには、江戸時代の面影を残す寺内町があり、土・日・祝日には、多くの観光客が訪れています。少し遠方かも知れませんが、機会があれば、ぜひお越しください。

お会いして懐かしい思い出を語り合いたいと思っています。

2021年10月18日  平田 勝一

 

恩師のいま 〜 田橋知直先生(茨木中高)

恩師のいま、ですよね。あまり「恩師」というような活躍はしてこなかったように思います。まったくもって頼りなかった赴任当初を知る高校51期、52期の皆さんからすれば、「ようえらなれたもんやな!」と言われることと思います。中学34期から46期の皆さんからは、「えらい丸くなったもんやな・・・」でしょうね。あの頃は毎日が戦場のようでしたね。その日を生きるので精一杯で、1秒1秒が全力投球でした。それでもあの頃のことは自分にとってとてもいい思い出であり、根っこを育んでくれたかけがえのない時期です。47期・48期+高校68期の皆さんには何と言われるのかな?あの頃はNEW TREASUREでAll Englishっていう、誰も考えなかったことをやってみたり、国際講座をみんなと作っているうちにSDGsと出会い、真剣に世界のことを考えるようになりました。世界平和が人生の目標になったのもこの頃です。学外にもたくさん友達ができ、いろんな人たちからちやほやされて調子に乗っていた時期です。そうこうしているうちに、気づけば追手門一筋22年。

近況を伝えねばなりませんね。変化の加速度が増し、予測困難な世の中の流れに取り残されそうになりながらも、自分なりに新しい取り組みをしています。コロナ禍直前の2年間は、夏休みを利用して海外の学校で授業実践をしてきました。フィリピンではシティズンシップ教育、ルワンダでは平和教育。そこで出会ったステキな生徒たちと日本の学生をつなげる誓いを立てました。色んなことをコロナ禍のせいにするのは嫌なので、無理やりにでもオンラインに可能性を見出し、結果日本にいながら海外とつながる、「本当の意味でのグローバル」の可能性に今は夢中です。オンラインの力を借りれば、大阪にいながら海外の学校で授業をしたり、海外の生徒たちと追手門のステキな生徒たちをつなげられることに気がつき、ここ2年でインド、マレーシア、アメリカ、台湾、オランダ、韓国の学校と追手門の教室をつないできました。どこか国際教育を海外研修や留学に頼ってきたこれまでとは決別ができそうです。

振り返ると、若い頃からたくさんの失敗をしてきました。生徒を傷つけただろうことも、保護者の方に不信を抱かせることもたくさんありました。様々な出会いがあり、巣立ちを見送ってきました。その度に、僕とかかわってくれた人たちがそのかかわりを誇れるような人間になることを誓い、自分をアップデートしてきました。私がこれまで追手門で学んだこと、それはやはり、「人とのかかわり」だということに、筆を進めている中で気がつきました。追手門でのこれまでのすべての出会いに感謝します。

田橋知直

恩師のいま 〜 柴田幸典先生(茨木中高)

私が追手門学院中・高等学校に勤務してからもう19年目になります。私が初めて担任を持たせていただいたのは52期高校2年生、当時24歳、びくびくしながら初朝礼に赴き、日々を必死に過ごしていたのを今でも覚えています。その生徒たちももう35・6歳になる計算、私は43歳になり、2人の息子のパパになりました。「光陰矢の如し」とはまさにこのことと、今この原稿を書いて実感しています。この19年、それぞれの日にはいろいろなことがあり、1日、1ヶ月がとても長く感じるときもありました。しかし、今、19年前がまるでつい最近のことように感じています。ただ、気持ちはそんな感じですが、体はといいますと着実に年齢を重ね、傷んできている今日この頃です。写真を見返すと細かった自分が、今や・・・という感じです。

さて、現在ですが、今はまた高校2年生の担任を持たせてもらっています。今は10月、進路指導が本格化してくる時期です。(懐かしいでしょ!!)授業では高3、中1、高2を担当しています。今、学校は様々な面で変革の時期を迎えています。授業でいえば、パソコンを使った授業は当たり前、googleを駆使(使い切れてはいませんが)して授業を展開、さらには一斉授業からの脱却、数年前とはえらい違いです。もちろん学級における指導も社会の変化に伴い大きく変わっていっています。ここ数年の変化のスピードはものすごいです。その波に乗るため日々情報を集め、考え、生徒たちと対話をしています。変化を享受できるよう日々取り組んでいます。ただ、その変化を享受する一方で、最近「自分の軸としてあるものは何か」という自分の考えの根底にあるものを探るようになりました。例えば「自分が教師になった大元は何だろう」とか「自分は理科の何を感じてほしい」とか、「自分の幸せの形ってなんだろう」とかです。変化の激しい時代では、それに慣れるために精一杯で視界が狭くなりがちです。それでは荒波に中の小舟のようにあっちこっちに翻弄されてしまうのではないでしょうか。こんな時代だからこそ自分の軸というものをしっかりもっていかなければならないのではないかと強く思っています。それをしっかり生徒に伝えていきたいと考えている今日この頃です。

真面目な話になってしまいましたが、近況はこんな感じで、毎日をくたくたになりながら必死に生きています。でも生徒たちの日々の成長も見守れるこの職業はとても刺激的で、充実しています。この先もしっかりと頑張っていきたいと思います。そして卒業生の皆さん、成長された皆さんに会えることは教員としてとても幸せを感じる瞬間でもあります。卒業生の皆さん、お時間がございましたら是非学校に顔を出してください。(そのとき、「覚えてる~?」というのはご勘弁くださいね。記憶がまぜこぜなこともありドキドキします。すみませんがお願いします。)卒業生の皆さんが訪ねてきてくれるのは教師冥利に尽きます。心よりお待ちしております。ありがとうございました。

柴田幸典

 

高校(茨木)女子サッカー部全国大会出場のための募金のお願い

~ご挨拶~

追手門学院高等学校女子サッカー部は、「皇后杯 第43回JFA全日本女子サッカー選手権 関西大会」で優勝し、本大会への出場を決めました。創部10年目にして初めての全国大会の出場となります。

特に今期は、昨年度から新型コロナウイルスの影響で大会の中止や、限られた環境下での練習となりましたが、部員は当大会では粘り強い試合を展開し、初めての全国大会出場を果たすことができました。また、女子サッカーの日本一を決める大会に出場できることにも光栄に思っています。

これもひとえに皆さま方のご声援の賜物と深く感謝申し上げます。

今回の全国大会出場は本サッカー部について悲願の達成となりました。この結果に驕ることなく、大阪府の代表のみならず関西代表チームとして皆さまのご期待に応える活躍ができるよう、より一層の努力を重ねて参ります。また、「全日本高等学校女子サッカー選手権大会」出場に向けても、部員・スタッフ一同、全力で取り組んで参りますので、引き続きご声援の程、何とぞ宜しくお願いいたします。

つきましては、全国大会出場にあたり、全国大会参加経費、その他諸活動資金として、皆さまにご支援をお願い申し上げます。経済情勢も厳しく何かと出費がかさむ折、誠に恐縮に存じますが、別紙の通り本校サッカー部激励のための寄付を賜りますよう、重ねてお願いいたします。なお、余剰金が発生した場合には今後のサッカー部の活動充実のために、有効に活用させていただきます。

令和3年 10月 吉日

追手門学院高等学校 学校長 木内 淳詞
追手門学院高等学校女子サッカー部 監督   大橋 忠仁

 

~趣意書

1.寄付主旨   「皇后杯 第43回JFA全日本女子サッカー選手権大会」の出場に関わる諸費用の支援補助。 万一、余剰金が発生した場合は、サッカー部の活動支援補助金に充てる。

2.募集期間  令和3年10月1日(金)~

3.寄付金額  1口5,000円 以上

4.寄付金控除  個人でのご寄付(2,000円以上)は、確定申告をすることで寄付金控除をうけることができます。

詳細は、http://www.otemon.jp/kifu/deduction/index.html

5.寄付方法  インターネットから

お申し込みは、こちらから。

【インターネットから手続きされる場合】

上記リンクから「インターネットでのお申込み」 →  寄付お申込みフォーム

→ メールアドレスのご登録 →  寄付内容のご入力

事業の種類→「中・高等学校教育支援募金」を選択

メッセージ欄→「女子サッカー部へ」と入力してください。

スポーツ特別強化サポート募金欄で、「女子サッカー部」を選ばないでください。

6.大会報告   「皇后杯 第43回JFA全日本女子サッカー選手権」出場まで

【大阪大会】

1回戦​​VS FC大阪   ​​〇 2-0

2回戦​​VS 星翔高校​​〇 0-0 PK(7-6)

準決勝​​VS 大商学園 ● 1-3

3位決定戦VS セレッソ大阪ガールズ● 0-3

大阪第4代表として関西大会へ

【関西大会】

1回戦​​VS 同志社大学(京都1位)〇 9-0

2回戦​​VS 聖泉大学(滋賀2位)  〇 2-1

準決勝​​VS 大阪学芸高校(大阪1位) 〇 1-0

決勝​​VS 大阪体育大学(大阪5位)  〇 1-0

関西第1代表として本大会出場(初出場)

 

【速報】高校女子サッカー部 皇后杯関西大会優勝

追手門学院中・高等学校(茨木)女子サッカー部が、2021年度皇后杯JFA 第43回全日本女子サッカー選手権大会で、大阪体育大学(大阪府5位)に勝利して優勝しましたので、報告いたします。
本校女子サッカー部は創部10年、全国大会は初出場です。
本校は9/12に準決勝で大阪学芸高校(大阪府1位)に勝利し、全国大会には上位2校が出場しますので、決勝で試合した大阪体育大学とともに、全国大会出場が決定しております。

http://www.kansai-fa.gr.jp/pdf/2021/21_wom_championship_results.pdf

全国大会初出場に向け、女子サッカー部員に熱い応援を賜りたく、引き続き応援よろしくお願いします!

 

【茨木中・高】高校女子サッカー部全国大会へ

【茨木中・高】高校女子サッカー部全国大会へ

高校女子サッカー部が9/12皇后杯JFA第43回全日本女子サッカー選手権
関西大会準決勝に出場し、大阪学芸高校(大阪府1位)と対戦し、見事勝利しました。

この結果、2021年度 皇后杯 JFA 第43回日本女子サッカー選手権 全国大会に出場が確定しました。 初の全国大会出場となります。

応援、よろしくお願いいたします。

https://www.otemon-jh.ed.jp/news/news_otemon/detail/775

2021年度第2回評議員会 報告

2021年度第2回評議員会 報告

総務委員長 岩田恵人

残暑も日ごとに和らぎ、初秋の季節となりました2021年9月5日(日)に評議員会を開催いたしました。コロナ感染予防を第一に考え、ZOOMでの開催といたしましたが、40名の評議員の皆様にご出席いただきました。誠にありがとうございました。

会議におきましては、各委員会活動報告の後、川原学院理事長にコロナ禍での各校の感染防止対策・教育改革などをお話いただきました。

後半の「コロナ禍における山桜会活動について」のグループディスカッションでは様々なアイデアをいただきました。今後の山桜会活動に反映させていただきます。今後も評議員の皆様のご協力をいただきながら、運営してまいりますので、引き続きご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 

 

高校(茨木)水球部 インターハイ出場!

水球部 インターハイ出場

顧問:木村耕太郎

本校の水球部は、8月中旬、長野県で行われたインターハイ(全国高校総体)に出場してきました。水球部は今年度の4月に創部されたばかり。たった3カ月という短い期間でしたが、部員たちが結束し、見事に成果を上げてくれました。

【なかなか苦戦した部員の勧誘】

水球は7人で行うスポーツですが、4月当初はその人数に達せず、部員の勧誘から始まりました。しかし、聞いたこともない、他の学校(茨木高校)で練習している、という非常にイメージしにくいその部活に、わざわざ入部しよう、なんていう生徒はなかなかいません。話すらもまともに聞いてもらえない中、勧誘活動は思うように進みませんでした。それでも毎日の昼休みに、根気よく新入生に声をかけ続けた結果、8名の選手と2名のマネージャーが入部してくれました。

とはいえ、コロナ禍で練習時間も充分には確保できません。部員たちは家でのトレーニング方法についてスマホなどを活用して交換したり、アドバイスを行いながら、不足部分を少しでも補おうと取り組んでいました。

【いざ、大会へ!】

創部から約三週間後に行われたインターハイ大阪予選で全勝優勝。その約一か月後の近畿大会で3位となりインターハイへ。国民体育大会予選では水球部門において大阪としては24年ぶりの本戦出場を果たしました。

インターハイでは残念ながら勝利することは出来ませんでしたが、この4カ月の間、強烈な練習メニューと激戦を経て、マネージャーも含めた部員たちの日増しに成長する姿は目を見張るものでした。技術、スピード、力強さ。向かい合う姿勢、礼儀、目の輝き・・・。それは、勝利がもたらす自信と感動、敗北から導かれる悔しさと反省が、彼らの成長の大きな糧になっていることだと思います。

【勝つ喜び、負ける悔しさ】

今夏、高校野球全国大会で優勝した智辯和歌山高校を長年率いた名物監督:髙嶋仁氏は10年以上前にTVのインタビューでこんな風に答えていました。

「野球が上手いからと言ってもプロに行けるモンなんて、ほんの一握りだって。大抵の子は、野球以外の仕事に就くんですよ。野球を辞めて、社会人になって、そしたら毎日の仕事とか生活をしていると、負けることがほとんどです。ほんとに負けてばっかりで、たま~に勝てるくらい。

その負けた時に「悔しい!」って思ってほしい。だから僕はね、高校野球を通して勝つ喜びってのをこの子らに味合わせてやりたいんですよ。」と。

本校水球部がインターハイで負けた日、夕食後に小さな部屋に集まって、チームとして最後のミーティング。この数カ月を振り返って、ある部員は、少し小さめの声で、こんな風に語ってくれました。

「高校入試で第一志望の学校ではなく、進学先が追手門に決まった当初、学校に行くのに気持ちを整理できない時期もありました。でも、この部活に入って、本当にインターハイに出場出来た。今は、この学校にいることが、僕の誇りです。」

部員の頑張りは勿論ですが、多くの方々のご支援のお陰で、水球部は一生に一度かもしれないような経験が出来ました。今後もご声援いただければ幸いです。ありがとうございました。

 

【速報】 夏の甲子園大阪大会 追手門学院高校ベスト16突破ならず

【速報】
夏の甲子園大阪大会 追手門学院高校ベスト16突破ならず

追手門学院高校7-11清教学園高校

夏の甲子園大阪大会で50年ぶりにベスト16に進んだ追手門学院高校。
本日、ベスト8進出をかけて清教学園高校との一戦に臨みました。
立ち上がりからリードを許す苦しい展開でした。
大差をつけられ一時はコールド負けの危機もありましたが、その都度粘り強く点を返し、4点差まで追い上げました。
選手の皆さん、最後まであきらめない野球、ありがとうございました。
また卒業生をはじめ試合に駆けつけてくださった皆さん、応援ありがとうございました。

 

恩師のいま 〜 保健室・大西幸栄先生(茨木中高)

"思いは同じ"

大西幸栄

卒業生の皆様、お元気でお過ごしでしょうか?

2019年以降、コロナ禍で生活様式もかわってきています。

ここ数年、特に健康の大切さが重要視され、自分の体は自分で守り健康に生きる力が必要とされています。

私は、2019年3月安威の校舎と共に追手門学院を退職致しました。

2018年6月18日午前7時58分大阪府北摂地震により安威の管理棟の校舎2・3階はダメージを受けて使用できなくなり、校舎の倒壊も心配され、保健室も利用できなくなりました。

2019年4月からは総持寺のキャンパスの移転も決まってますが、長年過ごした校舎での思い出等に浸る日にちもままならず校舎の解体が迫る中、2018年7月28日に校舎惜別の会が企画されて、当日各期から多くの卒業生にお会いする事が出来ました。

短い時間でしたが懐かしい顔ぶれに昔の話や今の状況等を話せる時間が出来て追手門ファミリーを感じさせる時間でした。もっと多くの卒業生とお会いしたかったです。

突然の企画で知らなかった卒業生の方や時間の折り合いがつかず参加できなかった人達も多かったのではないでしょうか?思い出多い安威の地、時計塔や中庭の桜や藤棚、その横になぜか郵便ポストがあり自然溢れる環境でしたね。懐かしい時間を経て、会もお開きになりスクールバスが出ていき見送った後、私は保健室に戻りました。

え?保健室の壁や窓ガラスに卒業生からのメッセージがありびっくりです。

追手門最高・追手門大好き・保健室ありがとうなど多くのメッセージ書いてありました。

一目見たら荒れた学校のように、書き残されていたんです。

そのメッセージを見て、嬉しかった。そして、この学校に勤め皆さんに出会い、過ごせた事が幸せで感謝の思いで一杯です。皆さんありがとう!

私は、初めて追手門の保健室に来た時、なんて素敵な保健室なんだろう!の思いから始まり

窓から見える四季の木々の季節感、東と西にドアがあり朝の太陽の日差しと通り抜ける風、教室塔に近く生徒との距離感の良さ、夏は涼しく冬は暖かい環境の良さ最高の保健室でした。

毎日ドラマのような日常で、喜怒哀楽の大きい保健室です。

そんな保健室が大好きで、追手門学院で皆さんと知り合えて過ごせた時間は最高でした。

ありがとう!の感謝です。

皆さん お元気でお過ごしください

2021年7月26日

 

速報:高校(茨木)野球部ベスト16進出

高校(茨木)硬式野球部が全国高校野球選手権大阪大会4回戦で堺西高校に
13-11で勝利し、ベスト16進出となりましたので、報告いたします。
本校野球部のベスト16進出は50年ぶりのことになります。

次は準々決勝進出をかけ、清教学園との5回戦が明日7月28日(水)
12:10から万博記念公園球場で開催となります。
ぜひ熱い応援をよろしくお願いいたします。

2021年山桜会総会 ご報告

  追手門学院校友会山桜会

総会実行委員長 岩田恵人

梅雨空の下、紫陽花が見頃の6月27日(日)2021度追手門学院校友会山桜会総会」を開催いたしました。コロナ感染拡大防止を第一に考慮し、Zoomでの定時総会に限定した開催となりましたが、61名の会員の皆様にご出席いただきました心より感謝申し上げます。あわせて、会議運営にご協力いただきましたスタッフの皆様、誠にありがとうございました。

今年度の定時総会におきましては学院より川原理事長のご出席を賜り、コロナ禍において躍進する学院の状況をお話いただきました。また、衆議院議員の中山泰秀氏(小学校94期)もご出席いただき、現在防衛副大臣として担当されている自衛隊大規模接種センターで実施されている、安心、安全な社会のために大切なワクチン接種のお話をいただきました。

定時総会報告事項は2020年度の事業報告・決算報告、そして2021年度の事業計画の説明行われました。事業計画は、コロナ禍において、新しい発想、知恵による活動を目指していくという基本方針が示されました。皆様のご協力を得ながら実現させていきたいと考えております。ひきつづき、ご支援ご協力のほどよろしくお願いいたします。

次年度の総会が、安全で安心できる環境の中で、より多くの会員の皆様が参加し、交流できる総会となりますことをお祈り申し上げまして報告、御礼のご挨拶とさせていただきます。

2021年度第1回評議員会 開催ご報告

総務委員長 岩田恵人

薫風香る5月9日(日)に、2021年度第1回評議員会が38名の出席をいただき、ZOOM開催されました。
評議員会におきましては、2021年度年間計画・予算などが説明され、基本方針として、「リモート(ZOOM)を活用しできることを実行する」というコロナ禍においても前向きな活動を目指すという方針が示されました。
今回の評議員会もコロナ感染拡大のためZOOMでの開催となり、また今後もコロナ収束については不透明な状況です。このような状況の中、「役員の皆様にコロナに対して正しい情報を持っていただき、感染することなく、収束後には笑顔で会する」このことを願い、山本文里評議員(小学校82期・大手前中25期、医療法人高寿会山本内科小児科医院院長)に「新型コロナウイルスについて」のご講演をいただきました。今一番知りたいワクチンや変異株などについて詳細なデータをまじえながら丁寧にわかりやすくご説明いただきました。また正しい感染防止対策につきましてもお話しいただき、「コロナを正しく恐れること」を再認識することになりました。多岐にわたるコロナに関する情報・データをわかりやすくお話いただき、貴重な講演会になりました。
ご講演をいただきました山本さん、有難うございました。

 

講演《COVID-19感染症について》

講師 山本文里(小82期・大手前中25期)

COVID-19の現状
COVID-19の診断と症状
COVID-19のワクチン
COVID-19の変異株
COVID-19の治療薬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

withコロナ~闘う卒業生~ vol.021

竹内 康造(茨高34期)

がんばれ!女将!

風薫緑樹を渡る好季節となりました。ご紹介するお店は、阪急茨木市駅から徒歩約3分。
新鮮な魚介はもちろん、季節の素材・地どりの持ち味を生かした和食のお店。
割烹「季ごころ廣」茨高34期 本元(旧姓 森)明美さんのお店です。(ここからは旧姓で表記)

森さんとは、佐々木実先生の1年3組で一緒でした。
とても優しい仲間が多く、実先生を中心にした居心地が良いクラスでした。
下の写真も、3組仲間で撮影となりました。※偶然ですが・・・。

社会人になってから、関東に住んでいた関係で22~40歳前半まで過去に振り返る暇もなく、ご縁がなかったのですが、Facebook開始時に懐かしいお名前が・・。いつもの千里開催に初参加し、ご無沙汰でしたが、ときも感じずに高校時代の感覚に戻れました。8年位前から年1回位ですが、友人と昼食に伺っております。

GW前に、緊急事態宣言が再び発出され、地域のにぎわい・交流を支えてきた多くの飲食店・思い出が詰まったお店が苦境に立たされております。コロナ禍ではございますが、ご友人達・ご家族交えて「憩いのひと時を・・」同級生のお店や、他の山桜会員様のお店で、楽しんで頂けましたら、とてもありがたいです。
森さん(女将)の、明るいキャラクターで、この苦難を、大将と一緒に乗り越えてもらいたい。にこやかな笑顔・ちょいやんちゃで、お上品な森さんで! みんなに希望を与えてくださいね。これからも、同期の一人として応援しています。

2020年度から山桜会評議員になり、苦境に立たされている卒業生の飲食店・店舗(事務所)等を応援したいという思いから、まず私自身が執筆することで、先輩・同期・後輩・恩師・事務員の皆様から、ご紹介いただき、応援メッセージのきっかけになれば・・・幸いです。

季ごころ 廣 http://kigokoro-hiro.jp/

2021.05.10

 

田尻洋一さん(高29期)からのお知らせです。

 

田尻洋一さん(高29期)からのお知らせです。

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新しい映像が音楽情報誌「ぶらあぼ」から配信されてます。よろしければお暇な折にどうぞ。(第2回は510の予定)

https://www.eonet.ne.jp/~y-tajiri/index_https.htm

どうぞくれぐれもご油断なくご自愛くださいませ、お元気で!

とり急ぎお知らせとお見舞いと、

草々、

田尻洋一

恩師のいま 〜 阪本龍夫先生(茨木中高)

まだ現役です

                 阪本龍夫

 定年退職し、手を振る演劇部員に見送られて追坂を走り去ってから、もう6年が過ぎました。あの日私は部員と追坂の桜に別れを告げて、枚方市にある東海大学付属大阪仰星高校に非常勤講師として赴任しました。それからの6年間にはさまざまな変化がありました。
学校は新しい校地へと移転し、安威の地に懐かしい学び舎はありません。体育館もなく、安威祭はなくなり、行事も学校のシステムも大きく変化したようです。そして今、世の中はコロナで大変な状況で、終息する見通しも立っていません。

私自身の生活はあまり変わっていません。大阪仰星高校に来たのは、校長が全国高等学校演劇協議会の会長(以前は東京の女子高の校長でした)をしておられたご縁により、招かれたからです。「部員が2人いるから面倒をみてください」というお話しだったのに、来てみると誰もいませんでした。実は部員ゼロの状態が長年続いていたようです。翌年、私の勧誘に応じて、やっと中学3年生と1年生の2人が入部し、同好会としてスタートしました。もちろん部室も音響機材も照明機材も、活動場所もなく、ジプシーのような状態でした。それでも春と秋にある大阪中学校演劇祭に出場し、優良賞と優秀一席を獲得しました。

仰星での3年目、中学3年生が高校生となり、5人の仲間を集めてくれ、仰星高校演劇部としての活動が始まりました。7月にはHPF,9月の文化祭、そして11月のコンクール。冬には私学芸術文化祭典に出演。追手門学院の時と同じようなスケジュールでした。違うのはまだ部室もなく、機材もわずかしかないこと。どのホールに行っても部員は1年生の初心者ばかりのチームで顧問は45年目というのがギャグのようで、他校の顧問や劇場スタッフにうけていました。

今年、仰星高校演劇部は4年目が終わり、5年目に入ったばかりです。この4年間に3回、地区大会で最優秀賞を得、府大会に進みました。個人演技賞も連続で獲得しています。

昨年の府大会では、追手門学院、追手門学院大手前と大阪仰星の3校がそろい踏みでした。例年大阪代表は3校が近畿大会に進むのですが、コロナの影響で近畿大会が規模縮小となり、1校だけが最優秀賞でした。審査結果は大阪代表に追手門学院が選ばれました。見慣れた紺色の制服が喜んでいる姿。横では泣いている仰星の部員たち。喜ばしいような、悔しいような何とも複雑な心境でした。例年通りなら追手門学院、追手門学院大手前と大阪仰星の3校が近畿大会で上演できたのではないかと思っています。

こうして今は授業と演劇部顧問としての生活を送っています。月曜から金曜まで授業、多くの土日はクラブの稽古をしています。仰星高校はラグビー・サッカー・野球・柔道、また吹奏楽部など全国レベルの部が多く、そのクラブをするために入学した生徒が9割を超します。高校生になってからクラブを選ぶ生徒はほとんどいません。そのため部員獲得は追手門学院の時とは比べ物にならないほど至難の業です。可能性があるのは特進コースの生徒に限られてしまいます。だから演劇部員は中学も高校もほとんどが特進コースの生徒です。まさに文武両道。活動できる限られた時間をやり繰りして作品を創っていますが、レベルは落としません。

4月から仰星で7年目、追手門学院の時から数えて47年目の教員生活が始まりました。大阪は再び非常事態宣言を要請しました。クラブ活動も休止・自粛になっています。昨年も今年も新入生歓迎公演はできませんでした。新入部員ゼロの危機が続きます。でも粘り強く、細々とでも部を成長させていきたいと思っています。

夢は「目指せ、全国」です。

2021年4月22日

 

「偕行社学院58期生同窓会 思いを語る」

偕行社学院58期生同窓会
2019年11月3日開催
於 追手門学院大阪城スクエア6F 大手前木―ル

 

 狂気の軍国主義から手探りの民主主義へ、私達の小学生生活は180度回転した。決してよき時代ではなかったのに、在校していた誇りがうっすらと刻み込まれているのはどういうことか。通過した過去を肯定したい思いは同期の友情によって連がっていること以外に何かがある。
これらの出来事は秘して埋没させておくべきことではなく、私達が6・3・3制度により新設された中学1期生となり、今回の追手門学院の基礎となってスタートしたjumping boardではないか。
同級生の葬儀・納骨の儀が続き同期会消滅の危機感を感じ、西浦教頭先生・贄田くんのお世話で、大阪城スクエア6階大手前ホールで吉兆の弁当を添えて17人が集まった。これが最后であってはならないが、今後これ以上の人数が集まることはない。録音を撮ることをお願いし、今までの同窓会では語られなかつた、語りたくない話題を70年振り返ってあぶり出すように司会するが、発言は久しぶりの同窓会の楽しさはなく、重い思い出したくない空気で覆われた。

運動場の東に御眞影泰安殿があり天皇の写真が入っているのであろう、それに向かつて挙手の敬礼をした。天皇陛下の御為に、お國のために、富団強兵、撃ちてし止まん、盡忠報国の洗脳を受け、特攻隊が生まれ、ヒットラーユーゲント的教育が何の疑いもなく全国民に浸透して入った。

姿勢を正し私語は全くない、教室の廊下で足払いをかけられ、立てばまた転がされて、階段で突き落とされドドドの音がする。背筋が寒くなる。今日もまたやってるが怪我の話は間かず、この先生は戦后は事務所員だった。
整列していると何が気に触ったか持っていた木刀で頭ヘー撃、木刀が折れた、斜めに叩かれたからと小学生は冷静に見ている。この先生と生徒の文通は長く続いた。
横列に並ばせて平手打ち、吹っ飛びそうな勢いを辛抱する、 先生の爪の間から血が滲んでいた。

兄の学年のあった話として、屋上から足を持って吊るす、さすがに父兄会で問題になり、手から外れたらどうすると言われ「私はすぐに飛び降りる」と答え、それまでとなった。
学校では殴打のない教育は考えられない。しかし登校拒否は無く、非国民、一億一心、と便利な言葉で片付けた。ただ参観日だけは違った、どの先生も和服を着飾った母親に囲まれての授業は苦手のようだった。

戦争が本土空襲を受け避難のため、石切、箕面に疎開した。蚤や虱の巣のような衣服に、食料は人間の食べるものはなかった。不足というより無いに等しく、空腹を超え栄養失調で燈火管制の中、空襲警報で防空壕へ待避は毎日。大阪の我家が焼けた生徒はもちろんいた。赤々と燃える美しさは悪夢であり、低空飛行で襲う敵の顔がはっきり見えた。
疎開の寮生活では先生のお膳を下げる当番があって、食べ残しがないか人間性皆無の恥ずべき教師と生徒の奴隷扱いが明らかにされる。
幼い空腹の親を離れた子等には、畑の芋泥棒は生きんがための手段であり、金魚をロウソクで炙って喰い、舞い込んだ小鳥も嬉しい食料になった。

矛盾だらけの戦中教育。
教育を授ける人は眞実を知らなければならない。温かい人間性を持たなければならない。
私達は無垢であった。日本は神国、必ず神風が吹くと本当に信じる教育を受けた。
天気が悪くなった日、友達と今日は吹くのではと話し合った。今の子供たちには考えられない。

借行社58期生はシンガポール陥落で大阪城内の師団司令部へ旗を持たず祝いの行進に行った。陸軍記念日3月10日、校長の超長い軍人勅論を直立不動で聞き、御堂筋の観兵式で連戦の結果、周囲の房だけがのこったように見える軍旗と、白馬が行進中糞をするのを見て、真田山の陸軍基地に詣った。軍国少年は忙しい。通学途上将官には停まって挙手の敬礼を行うことも命令された。

戦后、天皇が全国巡幸で大阪府庁のパルコエーに立たれた、道路は人で埋まり涙する人も多くいたが、私たちは天皇のためにとの世相を作り、強制され種々の犠牲になった人を知っている。疎開で地方へ離阪した彼奴はどうしたか、名前だけの名簿を見て今更探すこともない。

偕行社で得たものは耐えること。

文責 額田晃作