日時:平成14年1月19日(土) 場所:太閤園
今年の新年会は大盛況!
という訳で、追手門学院中学15期の越智則英氏によるニューイヤーコンサートからスタートした新年会。 会場となった太閤園ゴールデンホールは、熱気に満ち溢れていました。 あちらこちらで交わされる「久しぶりー」「元気だった?」の会話も華やかでした。 沢山の恩師もお越し頂き華を添えて頂きました。 大抽選会では、当たった方の歓声も響き楽しい一時を過ごしました。
日時:平成14年1月19日(土) 場所:太閤園
今年の新年会は大盛況!
という訳で、追手門学院中学15期の越智則英氏によるニューイヤーコンサートからスタートした新年会。 会場となった太閤園ゴールデンホールは、熱気に満ち溢れていました。 あちらこちらで交わされる「久しぶりー」「元気だった?」の会話も華やかでした。 沢山の恩師もお越し頂き華を添えて頂きました。 大抽選会では、当たった方の歓声も響き楽しい一時を過ごしました。
この3月末で退職します。17年勤めたことになります。昭和60年(1985年)3年間住んでいたフランスのパリからの着任でした。高校生急増期で各学年3クラス(各クラス46人前後)から4クラスへの増学級の時でした。その頃は日本経済も最好調のときでJapan as No.1(世界第1の経済大国としての日本)と、もてはやされた頃でした。思えばわが国が最高の時に本校に来て最低のときに離任するということになったわけです。
この17年間いろいろとありましたが、海外研修にずうっと関係していたことが、やはり一番の思い出です。私はアメリカに11回、ニュージーランドに1回、オーストラリアに1回計13回生徒と同行しました。おかげで海外にたくさんの友人ができたし、もちろん、生徒とともに多くの経験ができました。事故もなく無事に今に至っていることもありがたいことと思っています。
しかし、変な出来事とも出会いました。たとえば、カナダのバンクーバーから、大阪へ離陸した飛行機の中から一人の生徒が忽然と消えてしまったことがありました。確かにいっしょに搭乗して、離陸直前まで顔を見ていたのですから狐につままれたとはこのことです。それはこんなことだったのです。
当時まだ関西空港ができていなくて大阪空港は午後8時以降は騒音防止のために着陸禁止だったのです。当日満席で、かなりの数のオーバーブッキング(二重発券)が出ていたのですが、その整理をしていると飛行機が大阪に着陸する時間が午後8時以降になってしまうので、(なんと乱暴なことに)入り口近くに座っていた何人かの乗客を急用があると飛行機の外に呼び出して、飛行機はそのまま飛び立ったのです。
生徒達呼び出された数名は手荷物もなく取り残されたのでした。もちろん、翌日ファーストクラスで丁重に送り返されてきましたが、われわれは最初様子がわからなくて大パニックでした。(機長以下搭乗員はわざと知らないふりをして、飛行機が引き返されないところまできて事情を話したのでした。)この時取り残された生徒はいまは飛行機のパイロットをしています。不思議な体験が、かえって飛行機への関心を引き起こしたそうです。
その他面白いことやヒヤットしたことはまだまだありますが、それはまたの機会として多くの人たちの善意で成立しているこの海外研修に関係できたことは本当にありがたいことでした。この海外研修を出発点として多くの生徒達が海外へ巣立ったり、国際的な仕事にかかわっています。
当時大阪の学校で海外研修を実施している学校は本当に数校でしたから、この研修を企画した先輩諸氏に敬意を表したいと思います。ここから、今の本校の国際教育や海外修学旅行・ICコースなどが出発していることは諸氏のご存知のとおりです。私は好奇心旺盛ですから、宿泊はすべてホーム・ステイでした。しかし、ホストの2人がすでに鬼籍に入ってしまわれたことは悲しいことです。
多くのこのような思い出を持って今回退職してゆくことはさみしいかぎりですが、後輩の先生たちも新しい視野でまた新しい国際交流・国際教育を推進していっているのをここでバトンタッチできることを幸いと思います。いろいろと御世話になった方々ありがとうございました。
2002年2月14日
山桜会のホームページ開設おめでとうございます。開設にあたり、”恩師の今”というコーナーを設けたということでご依頼がありましたので、この機会にどの様なことをしてきたか知っていただこうと筆をとりました。
(1)はじめに
小生は、昨年で論語でいう ”天命” を迎えました。振り返ってみても、あっと言う間の人生51年であり本校勤務27年でした。高学年の教科担任制では理科を教え、クラブではバドミントン部や視聴覚部を指導してきました。校内全体の仕事としては、20年前からコンピュータを導入したり、ワープロを普及させました。建設では1~3期工事の建設委員としてかかわり、教育工学室・LL教室の設計から教材提示装置・本館システム化など教育機器設備の具現化に尽力してきました。全国的にも最先端の設備であると自負しています。またこのような先端の道を拓く仕事にタッチしようと追手門に勤め、今まで継続できたことをうれしく思っています。
(2)卒業させた期生
その間には、88期生・95期生・100期生・102期生・104期生・108期生・110期生を卒業させることができました。お蔭で、同窓会や父母の会がたびたび行われ子どもたちの現状を聞かせていただくと、保護者の方の苦労がかいま見られたりしますが、どの方も成長を楽しみに頑張っておられる様子がわかりました。振り返ってみますと、教えているときは将来どのようになるだろうかと不安を持ちましたが、担任をさせてもらった可愛く元気で悪戯な子も立派な責任のある大人になっていました。安心してください。(笑い!)みなさんとの縁ができ、一生のつながりができたことに喜びを感じています。特に追手門の良さは、末永くつき合っていける先生・友だちを持っていることだと思います。ファミリーな雰囲気のある温かい繋がりがいつまでも続くことを願っています。
(3)現在教えている子どもたち
現在は、114期生の5年生主任を担当しています。子どものエネルギーをもらいながら、日々元気でやってこれているなと実感している今日この頃です。そのほか、鳥小屋のヒナも見ています。最近、卒業生から寄贈していただいた孔雀の番(つがい)が卵を産みました。8月末に4羽のヒナが孵化(ふか)しましたので育てています。すくすく育ちますので、毎日見るのを楽しみにしています。いまでは親とほぼ同じ大きさになりました。
(4)卒業生はよく努力する
卒業してからの様子をいろいろ聞き、入ってくる情報によると、101期生と102期生とで8人の東大生が生まれていたり、資格のいる厳しい道に進んだり、ボランティア活動で国際的な活動をしたりと困難な道に意欲的に挑んでいます。卒業してからもいつまでも忍耐強く勉強していると感心させられます。益々の活躍を祈っています。
卒業生の中に最初に教えた88期生の寺谷氏が”NHKのJOBK”でアナウンサーをしてニュースを読んだり番組の司会をしたりしています。いつも活躍する姿が目の前で見られますので、手に力がはいっている事があります。皆さんも応援してあげてください。(本人に頼まれていませんが・・・・。)
※原稿を提出する前日にヒョンなことで連絡がとれびっくり!1月末で退職。今後独立して民放やラジオに出るそうです。(「なにわのアナウンサー」として)
(5)プライベート活動
個人的には、バドミントンの選手として40才過ぎまでプレーをし、同時に大阪教職員バドミントン連盟理事長として30周年事業をやったり、大阪府小学生バドミントン連盟を創設したりしました。続いて、大阪バドミントン協会の仕事を副理事長として10年勤め、「なみはや国体」開催と協会50周年記念事業をやり遂げ、一昨年退任しました。
ゴルフは趣味で少しやっていましたが、2年前からラケットをクラブに持ち替えました。足腰を鍛える意味でも本格的にやっていこうかなと取り組んでいます。一緒にラウンドして教えてください。
(6)昔の思い出
勤めて直ぐに、5年は組の担任をして理科を担当し、よく遊び・よく学び・いっしょに楽しんだ事が思い出されます。苦労も多かったが、記憶に残ることも多かった。放課後、残ってソフトボールをやったり、遅くまで残って特別勉強をしたり、中庭の池掃除をしたり、少しの規則破りにこだわって注意をしたり、今思えば笑い話になるようなことかもしれませんが、一生懸命一途に訳も分からずやっていました。
(7)最後に
この歳になり、青春の多くを学校に捧げてきた自分にとって、何が財産として残っているかを考えてみると、やはり卒業生ですね。大人になっているので大人扱いしないといけないのですが、小学生時代のつもりで話すと話しやすいですね。(勘弁してください。)
今後も機会あるごとに本校をたずね、尚一層の母校の発展を見守ってください。そして、みなさんの子どもや孫を本校に入学させてくれることを願っています。
最後になりましたが、皆様のご健康とますますのご活躍をお祈り申し上げます。
2002年2月9日
卒業生の皆様、お元気にお過ごしですか。社会人となって世の中のきびしさを体験し、追手門での学校生活をなつかしく思った人も多数おられることでしょう。
私事ですが、昭和三十九年四月に追手門学院中高等学校に勤務してから三十八年にもなります。最近、卒業生から大阪駅等で声を掛けられた時、顔は覚えがあるのに、名前が思い出せないことが多くなりました。身内がお世話になっている施設でケアワーカーとして働いている卒業生、病院に行った時、そこで看護婦として働いている卒業生等、多方面に活躍しているのに偶然接して、とてもうれしく感じました。
現在学校は、教育改革が進行しつつあり、改革をなしとげるために全教職員が努力を続けています。
卒業生の皆様も、がんばって下さい。
2002年2月3日
三月末、定年後一年の任用期間も満了し、退職します。
東京オリンピックの前年4月、高12期3年の副担任として着任。
高15・18・19・30・39期、中2・5・8期の担任、高33・37期の主任など、数多くの卒業生諸兄姉に、若く熱きエネルギーをいただき、約40年の歳月の教職勤務を、つつがなく果たすことができ深く感謝いたします。
六月には日本で初めてのWカップが開催されます。永年親交のあるホイッスル仲間とともに、微力ながらお手伝いできることを楽しみに、健康第一で頑張っています。
2002年1月29日
みなさん、お元気ですか。私は昨年112期生を無事卒業させた後、入れ替わりに入学してきた1年生、118期生を担任しています。これを読まれる方はすでにご存知とおもいますが、歴史を刻んだ旧本館が近代的でいて伝統の薫りも残す新本館に建て変わりました。
教職員室もとても機能的なものにかわり、時勢の流れにそい各学年の机上には最新のデスクトップコンピュウタが、2台ずつ載っています。ついこの間まで主流だったワープロが「あっ。」と言う間に姿を消しました。 かく言う私もワープロ愛用者でしたが、若い先生に置いて行かれては大変と「あでもない。こうでもない。」とマウスをカチャカチャさせる毎日です。
おわりにもうひとつ。毎年、学年末にでる「追手門」という刊行物をご存知でしょうか。そこに社会科の先生方と授業のネタ集めと見聞を広げるために始めたフィールドワークを巡検記としてまとめています。機会があればご一読ください。
2002年1月25日
皆さん、こんにちは、私は今、図書館で子どもたちの指導に当たっています。
かわいい3・4年生の図書の授業、また全学年を対象としての読書指導にたずさわっています。
図書館で子どもたちと接していると、教室では見られない姿を見ることができ、これもまた新しい発見です。
クラブ活動は手芸クラブを4年前から始めました。こんなことを書くと、バスケットボールを追いかけて走り回っている私をご存じの皆さんは驚いたでしょうね。結構お得意分野なのですよ。
趣味では旅行と車が好きで、時間を作っては各地を訪ねています。目的は主に自然に浸ること、歴史の探訪、でもこの頃は美術館巡りも欠かせない目的の一つです。
卒業生の皆さん、学校へ訪ねて来られたら、是非図書館へも足を運んでください。
2002年1月25日
昨年4月から追手門学院中高等学校の方でお世話になっております間下亮志と申します。教科担当は化学です。宜しくお願い致します。今年の3月で25歳になります。追手門学院中高等学校の43期生の方々と同じ年齢になります。追手門学院中高等学校の前には他校で常勤講師をしておりましたが、担任を持っておらず、副担任をしておりました。その当時から「担任をしたい」という強い思いがありまして、昨年4月からその念願が叶い、現在に至っております。
4月からたくさんの行事がありました。6月にはいきなりの宿泊行事である長崎見学旅行、9月には文化祭でのクラス劇、10月には中学陸上競技会、11月には東北修学旅行とすべての行事が生徒は勿論のこと、私を大きく成長させてくれるものでした。特に東北修学旅行では実行委員長という大役を任され、そのプレッシャーに潰されそうになりながらも周りの先生方の暖かいご指導、さらには生徒たちの「自分達の旅行にする」という強い想いにより、大変素晴らしい旅行になりました。
また、日々の生徒との会話や授業など、すべてが私にとっては新鮮なことであり、また学習の場になっております。1日1日を大切にしたいとこれほどまでに思えたのも、すべて2年B組の生徒に出会えたおかげだと思っています。
追手門学院中高等学校は大改革の時期を迎えています。その中で中学34期生もサマースクールやウインタースクールなど学習面での取り組みも行われ、高校でのコース制に向けて、生徒共々頑張っております。行事、学習など生徒と共に自分も成長していけるように一生懸命頑張っていきたいと思っておりますので宜しくお願い致します。
2002年1月24日
昨年、私も50歳という節目の年を迎えました。自分では「いつまでも若い!」と思っていましたが、今年で29年目になるベテラン(経験だけは)になってしまいました。
就任1年目は89期生の3年生でした。大雨の中、体育の授業でサッカーをして、パンツまでびしょびしょになったことや、あまりにも態度が悪かったので雪の中の運動場側通路で1時間正座(もちろん私もいっしょに)をしたことなど、よく覚えています。あれから28年経った今年、久しぶりに3年生を担任しています。もう、あの頃のパワーはありませんが、次から次とめぐってくるかわいい子ども達にエネルギーをもらって、気持ちは若い時のままでいるつもりです。
就任直後はサッカークラブをつくり、元気に運動場を走り回っていましたが、その後、サッカークラブは若い先生に任せて、乗馬クラブを発足させました。そして、現在は杉下晴一先生の後をついでカメラクラブの顧問をしています。写真は私自身の趣味でもあり、国内外の風景を撮影して楽しんでいます。(写真は昨年8月にスイスに行ったときのものです)
私にとって卒業生の皆様のご活躍が何よりも楽しみです。近況をメールで結構ですから、ぜひお知らせください。最後になりましたが、卒業生の皆様のご活躍を心よりお祈りいたしております。
2002年1月23日
山桜会より、 「思い出」 「今考えている事」 「こんな研究をしている」といったことに、一言というご依頼を頂戴致しました。
実は、昭和五十九年から、文部省派遣でタイ国にあるバンコク日本人学校に2年間勤務し、帰国した時、最も印象深かったことは、 「日本の常識、世界の非常識」(竹村健一氏)といったことでした。
挨拶一つとっても、日本では頭を下げるほど丁寧で、逆にタイではワイ(合掌)の手を、上にあげるほど丁寧な挨拶ですし、国立図書館などでもトイレには、ペーパーがなく、壺が置かれていて、その中の水で処理するようになっています。
東南アジアの現地で暮らすと言うことは、日本で身に付けた知識や常識を、逆転する必要性があった訳です。
そこで、自分なりに悟ったことは、失敗・挫折・苦境・思い違いなどにぶつかった時、そのマイナス体験がきっかけとなって、今まで理解していなかった世界に気づき、新しい理解が獲得できる、つまり結果的にプラスに逆転するという事実でした。マイナス一×プラス一=マイナス一だが、マイナス一×マイナス一=プラス一になるということでした。
何を、かけるかということ。
帰国後、もう十年以上も前のことですが、これからはマイナス体験を、どう逆転するかが課題になるということで、『マイナス哲学による人材教育法』をまとめました。この小冊子は、わずか二千部印刷しただけで、一般の流通ルートに乗っていなかったのですが、文部省や松下政経塾からも直接注文がありました。
この時に、さまざまな業界の人が、マイナス体験に、どれだけ積極果敢に対処しているかを事例的に取り上げ、調べてみたのですが、経済界では松下電器の松下幸之助氏、阪急の小林一三氏、ダイエーの中内功氏などが、その代表でした。その結果、この観点から、「松下幸之助氏」を道徳副読本(日本文教出版)書く機会を与えられました。
さて、こうした経緯があって、今取り組んでいるのが、「松下幸之助氏の『思い』の技術」です。ちょうど、平成12年に約一ヶ月ほどPHP研究所研究本部で、貴重な保存資料を閲読する機会を与えていただき、直接研究所員の皆様がアドバイスをしてくださったことから、松下幸之助氏の実像に一歩近づくことができました。
そこで、気づかせていただいたことは、単なる思考力でなく、単なる知識でなく、燃えるような「思い」にこそ、松下経営の原点があるということでした。
「畳の上の水練」とか「熱海会議」とか、「水道哲学」とか、よく知られている松下経営の基盤には、「二階に上がろうと強く思う者は、梯子を考え出す」(松下氏)という言葉に象徴される「思い」の哲学が、地下水脈のように流れているのではないでしょうか。
ちょうど、昭和四十年頃、ダム式経営の講演会場で、松下幸之助氏の「まず、思う事ですな」という言葉によって、「思い」の重要性を瞬時に悟られたのが、京セラ創業間もなくの若き経営者稲盛和夫氏だったようです。
「思いは、必ず実現する」
卒業生の皆様が、それぞれの「思い」を大切にされ、その「思い」を実現されることを、大阪城を仰ぐ学舎から、祈念しております。
この詳細につきましては、『松下幸之助氏に学ぶ「思い」の技術』(彩図社・電話03-5985-8213)が出版されますので、ご一読いただければ幸いです。(*卒業生の場合は、1700円(送料込み・約四七〇ページ)で、その旨を明記して、電話・ファックス予約をしてください。)
2002年1月21日
『松下幸之助氏に学ぶ「思い」の技術』
目次
はじめに
一章 「思い」の人生応援歌
松下幸之助氏の「ダム式経営」論
「思い」の「人生応援歌」をキャッチ
「思い」の自然法則への開眼
「思い」の両界曼荼羅の継承・発展
関西発「思い」のルネッサンス
二章 「思い」の経営者の誕生
大晦日のトイレ騒動と「思い」の技術
松下夫妻の家族的経営と「思い」の技術
組織における「思い」の技術
松下幸之助氏の「思い」の技術の発展
三章 京セラと「思い」の技術
入社当時のマイナスからの出発
マイナスからプラスへの転換成功体験
「狂」状態から発明・発見に成功する
稲盛和夫氏の確信的宣言ー「思い」は必ず、実現するー
京セラ設立と「思い」の伝え方での悩み
新入社員の反発と本格的「事業の時代」のスタート
稲盛和夫氏独自の「思い」の方程式
稲盛和夫氏独自の「思い」の段階説
京セラの躍進と「思い」の経営スローガン
四章 「素直な心」と「思い」の技術
「素直な心」への言及と「思い」の技術の誕生
坂本龍馬の「素直な心」
福沢諭吉の「素直な心」
本田宗一郎氏の「素直な心」
フビライの「素直な心」
松下幸之助氏の独立自尊型「素直」観の確立
松下幸之助氏の武士道的「素直」観
松下幸之助氏の私心克服型「素直」観
稲盛和夫氏が継承した私心克服型「素直」観
五章 衆知と「思い」の技術
「素直な心」を貫く衆知経営と「思い」の技術
松下式「衆知」経営と組織的実行力・目的達成力
「衆知」経営の形と大阪城の石垣
戦後民主主義を克服する「衆知」と「思い」を高める技術
「衆知」経営で成功した”熱海会談”と「思い」の技術
衆知によって「思い」は実現していく
六章 水道哲学と「思い」の技術
“錦の御旗”と天理教本部での驚き
大阪通天閣界隈での「水道哲学」のインスピレーション
紀ノ川周辺の少年時代の体験と「水道哲学」
熱き「思い」伝えた創業記念日
「水道哲学」への「思い」と激しい気迫
ホレース・マンの自然法と「水道哲学」
七章 電話・朝会と「思い」の技術
たかが「電話」されど「電話」の松下式電話観
朝一番一斉の「飛耳長目」型電話連絡
元バンコク駐在敏腕記者と一本の電話
会議途中の松下幸之助氏の「電話」攻勢
エジソン流「ハロー」と松下流「どないや」
コンビニエンスストア時代の到来
セブンイレブンの大飛躍の秘訣とは
世界的に有名な松下流「朝会」の開始
なぜ、松下は「朝会記録」を二つ残したか
多重構造的に「物語る」経営者とCIの確立
八章 面授と「思い」の技術
JR名古屋駅ホームでの「面授」
松下幸之助氏の「面授」の方法
各界リーダーの説得力と「面授」
事例研究(1)リンカーンの場合
事例研究(2)クラーク博士の場合
事例研究(3)福沢諭吉の場合
事例研究(4)源義経の場合
事例研究(5)武田信玄の場合
事例研究(6)安岡正篤氏の場合
事例研究(7)政治学者丸山眞男氏の場合
九章 相談的指示と「思い」の技術
「おみこし」型リーダーシップとは
「相談的指示」と「思い」を伝える技術
松下流「相談的指示」と電話のかけ方
なぜ、一夜で墨俣城は完成したか
USJに見る観客参加型娯楽のトレンド
「よさこいソーラン」祭りのトレンド
十章 歴史上の人物と「思い」の技術
エジソン像建立と「思い」の技術
エジソンに学んだ松下幸之助氏
人生は青年時代の一〇、〇〇〇時間が勝負
エジソンの「真夜中のランチ」
松下電器・京セラの「真夜中のランチ」
エジソンは日本ファンだった
探検家ムーアの日本派遣と石清水八幡宮
「リトル・ピープルの声」を聞く
「歴史上の人物」の経営活用と松下幸之助氏
ー後略(全二十二章)-
成人式を迎える105期生の学年同窓会を、成人の日に小学校で行ないます。多数のご参加をお待ちしています。(保護者の皆様もぜひ、お越しください)
開催日:2002年1月14日 午前11時~2時
場 所:追手門学院小学校 110記念ホール
幹 事:105期生担当者一同
尚、小学校81期生同窓会のホームページを開設致しました。 URLは、http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8108/
です。詳しい事は、そちらをご覧下さい。
(山桜会ホームページからもリンクさせて頂いております。)
開催日:2002年1月13日 17時
開催会場:大阪キャッスルホテル
連絡先:happy-matsui@occn.zaq.ne.jp
主催者:松井 薫
私は69年4月に着任以来、最初に出会った83期4年ろ組から現在に至るまで、12の期生とともに歩んできました。特に私は5・6年生(教科担任制)の担当が多いので、直接1500余人もの諸君と日々生活を共にしてきたことになります。
卒業して何年も経ってからふと連絡をくれたり、小学校に立ち寄ってくれたりするととても嬉しいもので、この仕事を続けてきた喜びを深く感じ、私の心の宝石箱に大切に納めておくことにしています。この宝物は、私のエネルギー源になっています。
現在は、113期6年生の算数を担当しています。中高生の理数系離れが叫ばれて久しいですが、高学年の算数を深く楽しく学習し、習得するのに手間ひまかかる数学に強くなる(少なくとも嫌いにならない)ような指導法の研究をしています。このテーマは非常に難解なもので、究めるにはテクニックの世界を超越しているものと思われます。人を教えるという恐ろしい行為に畏敬の念を持ちつつ、頑張りたいと思っています。
会員の皆さん、ご自身の専門分野の鍛錬と人間性を磨かれて、これからも益々発展されることを大阪城の堀端より心から祈っております。
2002年1月7日
こんにちは、今年から追手門学院中高等学校の方でお世話になっております谷川譲二と申します。宜しくお願いいたします。
年齢は24歳で、数学を担当しております。去年は他の高校で非常勤講師をしておりましたが、縁あってこの追手門学院中高等学校でお世話になることになりました。上記のように、今年の4月から、52期高校1年3組の担任をしております。いきなりの担任ということで驚きもありましたが、若さを全面に押し出して日々全力投球でがんばっております。
9月に催された’安威祭’、10月末に学年全体で行った摩耶山への山登り、生徒1人1人と真剣に話をした個人懇談など、すべての行事はもちろんのこと、毎日の何気ない事が新鮮であり、また私にとって勉強の場となっております。
クラブは高校男子バスケットボール部の顧問をしております。11月に行われた大阪私学大会では見事、決勝トーナメント進出を果たしました。その決勝トーナメントでは、残念ながら大阪工業大学付属高校に10点差で惜敗しました。勝つ喜び、負ける悔しさ、この大会を通じて色々な事を学ぶことができました。現在の部員数は21名(マネージャー5名)です。けっして大人数とはいえませんが、バスケットボールのレギュラーは5名、日々熾烈なレギュラー争いをして頑張っております。
高校1年生52期はコース制導入の2期生ですが、1年生の段階からコース別クラス編成を敷いた1期生でもあります。色々な取り組みが学校全体で行われ、コース制導入はもちろん授業や課外学習の充実など、着実に改革が前進しております。きめ細やかな学習指導はもちろん、上にも書きましたが、持ち前の”若さ”を全面に出し、これからも一生懸命頑張っていきたいと思いますので宜しくお願いいたします。
2001年12月21日
開催日:2001年12月30日 18時30分
開催会場:梅田近辺(未定)
連絡先:s-kaide@hrp.sekisuihouse.co.jp
主催者:貝出 智・長渡 和久
卒業生のみなさんは、最近の厳しい社会の中で仕事や学業に、一生懸命がんばっておられることと思います。
小生は現在2年ろ組の担任をしています。追手門学院小学校で三十数年間教鞭をとりつづけ、気がつけば早や定年を迎えようとしています。毎日、38名の孫を相手に孤軍奮闘しております。最近では学校のことは勿論のこと、余暇を楽しく過ごす喜びをみつけ山歩きをしながら草花を観察し、森林浴を満喫している今日この頃です。休みになると自然観察のボランティアに参加し、公園やハイキング等で一般の人や子供たちに草花や樹木のお話をしております。
卒業生で自然観察のボランティアに興味のある人は学校の方へご連絡下さい。そして、草花や樹木の話をしながら昔の話に花を咲かせましょう。
《みなさんへ》
日立のコマーシャル「♪この木 何の木 気になる木~」の名前を知っていますか?
わかる人は追手門学院小学校の瀬崎まで・・・・・。
2001年12月13日
休みを利用してヨーロッパを訪れるようになって、もうかれこれ二十年になる。
数年前の春休みにブダペスト(ハンガリー)を旅したのは、そこに日本式の温泉がある、につられてであった。
市内中心部の真新しいホテル、ケンピンスキーから距離にして1.5キロメートル、ドナウ川にかかる自由橋を渡ったところのゲッレールト温泉(ホテル)に着いたのは4時ごろのこと。豪華なアールヌーヴォー様式のホテル前で、さてどのようにして入るのか、と迷っていると、ツアー客の一人と見られる日本人がホテルから出てきて、色々親切に教えてくれた。
○チケットを買ってエプロンをもらう。
○男女別の脱衣所へ行く。
○服を脱いでエプロン姿になる。
○ロッカーの鍵をかけて風呂場へ行く。
○シャワーを使って入浴。
浴槽は二つあって、温泉の温度は36度と38度くらい。いずれにせよ三月末では少々低くうすら寒い。温泉といっても15メートル程度の楕円型のプールにつかって、ただじっとしているだけなのだ。大声を出したり、泳いだりするとすぐ係の人がとんできて注意される。一つの浴槽に老若男女が、それでも20~30人はいただろうか。
少々ぬる目の湯ではあったが、20分くらい座っていると、身体がポカポカしてきて結構いい気分になる。一杯やりながら、「いい湯だな」を歌えなかったのは心残りであったけれど・・・・・。
2001年12月7日
山桜会ホームぺージ「恩師の今」トップバッターを飾らせて頂きます大野木 桂と申します。宜しくお願い致します。
私は4年前から追手門学院中高等学校の方でお世話になっておりますのでおそらく私が授業を担当したのは、48期生のみなさんからだと思います。
年は34歳になりました。なぜそんなに歳とってるの?と思いになられる方も多いかとおもいますが、大学を卒業してから8年間「ハミガキのサンスター」というメーカで主に量販店担当の営業をしておりました。しかしながら、人生とは不思議なもので念願の夢が叶い、現在に至っております。
今年から51期高校2年生の担任としてデビューを致しました。6月には修学旅行、9月には初めて2年生が主体となる安威祭、11月には奈良への校外学習と私にとっては何もかもが初めての経験でまさに激動の8ヶ月間でした。クラスは2年3組を担任しており、みんなやんちゃ小僧ですが私にとっては誰もがかわいい生徒達です。
今は最終学年に向けての進路指導で毎日悪戦苦闘の日々が続いております。担任の一言がその子の人生を決め兼ねないのですから責任重大です。
クラブはアメリカンフットボールを指導しております。残念ながら今秋のリーグ戦では強豪関西大倉高校に37-6で大敗してしまい決勝リーグに進出することができませんでした。 チーム名は「ランバージャックス」。現在部員は2年生が4人、1年生が12人、マネージャーが8人の小さな所帯ですが、1月に開催される新人戦に向けて毎日厳しい練習に取り組んでおります。一回戦の相手は高校日本一の大阪産業大学附属高校…どうなることやら心配ですが最後まで諦めず戦っていきたいと思います。
追手門学院中高等学校は昨年からコース制を導入し、大変革の時期を迎えております。 51期生はコース制1期生にあたり、担任会のメンバーとして責任は重大ですが、そこは持ち前のガッツでこの荒波を乗り切っていきたいと思います。
色々な改革が導入されておりますが「生徒一人一人を大事にする」この追手門魂も忘れず今度とも学院発展のために頑張ってまいりますので暖かいご声援宜しくお願い申し上げます。
2001年12月5日
山桜会会員の皆様、如何お過ごしでしょうか。
本年(2001年)4月より、新しく山桜会の会長を拝命させていただきました川原俊明(小71期・大手前中高14期)でございます。
このたび、秋山陽彦(小59期、大手前中2)、川口正弘(小71期、大手前中高14期)、生川紳一郎(小75期、大手前中高18期)の3副会長を始め、各委員会委員長などの執行部、ならびに多くの会員の皆様方に支えられながら、新たなスタートを切り、早くも半年が経過しました。
しかも新体制は、大胆にも、大正5年(1916年)の山桜会創設以来の旧来の殻をうち破り、山桜会を単なる卒業生の親睦団体だけでなく、積極的な母校支援団体に発展させ、あわせて社会に貢献していこう、という高邁な理想を掲げ、その実現に向けて邁進することになりました。会員の皆様方のおかげで期待以上の成果を揚げつつあります。
今般、山桜会の積極的な日常活動の状況を、会員の皆様にお伝えする必要性から、it(情報技術)時代にふさわしく山桜会としても新たな広報手段としてホームページを開設することになりました。
山桜会の各委員会の活動内容、同期会や各組の同窓会案内、ゴルフコンペ、グルメツアーのお誘いや、会員相互の伝言板のみならず、小・中・高など母校の教育活動状況について、山桜会会報だけではとうてい盛り込めない新鮮な情報をリアルタイムでお届けしたいと思います。ぜひ、ご期待下さい。
会員の皆様方には、さらなるご支援とご理解を賜りますよう重ねてよろしくお願い申しあげます。
平成13年12月1日?山桜会 会長 川原 俊明
山桜会ホームページ開設おめでとうございます。
小学校は今年で創立113年。90周年より校舎建設を計画的に推進し、学校も変わりました。 第四期工事で西館を建て替えれば完成になります。新しくなった学校を、そして、最後に残った校舎見学をかねて、 同窓会を是非小学校で開催してください。 すでに、多くの期生が利用されていますので、その節には教頭までご一報くだされば結構です。 また、近くまで来られた時には遠慮なくお立ち寄りください。
新しい本館には、記念室も設置し、卒業生の方からご寄贈頂いた物も展示しております。 この度、55期生の常吉俊男様・渡邊通弘様・上田宏様より大切に保存されていた偕行社時代の制服、 コート、バッヂ等をご寄贈いただきました。この欄を借りてお礼申し上げます。 なお、小学校時代の記念品・学用品等をお持ちの方がありましたら小学校までご連絡いただければ幸いです。
小学校の卒業生の総数は、平成13年3月卒業の第112期生で10,852人になっています。 私が大学を卒業してすぐに追手門学院小学校に勤めて、今年で35年目になり、数千人の子ども達と出会ったことになります。 色々な触れ合いがありましたが、今一番うれしい事は、毎年15~20名ちかく卒業生の子どもが入学してくれることです。 追手門ファミリーとして戻ってきてくれることは何よりも有難いことです。
今後も、古き良き伝統を守ると共に、常に新しい追手門の創造に向かって挑戦し、 卒業生の皆さんが自分の子どもを是非入学させたいと思われる学校づくりを目指していきます。
プライベートな話に変わり、私が追手門に勤めた若い頃は、バドミントンで国体に5回出場し、 全国教職員の大会で優勝もしましたが、今は36歳から始めたゴルフに熱中しています。 始める前はゴルフなんて年寄りのするものだと思っていましたが、その面白さに引き込まれ、夢が2つできました。 それは、ホールインワンをすることとシングルになること。 まず、ホールインワンは、1999年2月に達成し、ついでに12月にもやって1年間に2度のおまけつき。 また、7年程前にハンディが10になったものの、自分には無理だとあきらめていたシングルプレーヤーに今年5月、 57歳にしてなることができ、夢を達成しました。卒業生の皆さんの挑戦をいつでも受け付けますよ。 かかっておいで!(現在ハンディ6)
卒業生が学校に来て「先生昔と変われへんな」とよく言ってくれます。 お世辞もあると思いますが、私は年をとっても気持ちはいつまでも若く、 そしていつもチャレンジャーであり続けたいと思っています。
山桜会も新体制で新しいことを次々企画され、更なる発展を目指しておられます。 私達教職員にとって卒業生の皆様が社会で活躍されることは、学校の存在意義であり、拠り所でもあります。 今後共山桜会と学校が一体となって活動し、追手門学院が益々発展することを心から願っています。
2001年12月1日