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会長2002年4月の挨拶

会長2002年4月の挨拶

会長2002年4月の挨拶

すっかり春らしい季節になってまいりました。

山桜会会員の皆様におかれましては、如何お過ごしでしょうか。

4月上旬、追手門学院では、小・中・高・大のそれぞれの入学式が、順次、滞りなく挙行されました。今年は、山桜会の立場から、従前のような卒業式参列だけでなく、入学式にも積極的に参加し、先生方、ptaとのとの交流を少しでも深めようとの観点から、時間の許す限り、参加させていただきました。入学式会場では、希望に満ちあふれた学生生徒さんの姿が多く見られ、彼らの背中を見て、彼らこそ将来の追手門学院を背負ってくれる若者達だ、と期待を込めて見守っていました。

今年は、例年になく桜の開花が早いために、入学式では、既に一部が葉桜となっていました。それでも今年は、桜の開花期間が少し長く感じられ、おかげでたっぷりと桜を楽しむことができたと思っています。

桜の次は、花水木。春は草木の美しい季節で、新しい命の蠢動を実感させてくれます。

さて、山桜会新執行部が発足して早や1年が経過しました。

山桜会活動の原点は、「仲間との楽しい出会い」「母校への貢献」でした。2年目に入る今年の山桜会活動は、昨年度の実績を踏まえ、活動会員のすそ野を広げるなど、さらに果敢なチャレンジをしたいと思います。

IT時代にふさわしく、よりリアルタイムなホームページの充実を図ることも当面の重要課題です。

各行事案内、各学年・各期同窓会の案内など、会員のホームページに対する認知度を高め、その利用度を一気に高め、同窓会のことなら山桜会ホームページを見ればすべてがわかる、というところまで早急にもっていきたいと思います。恩師の先生方からも、「恩師のいま」の原稿を数多く投稿してきていただいており、感謝感激です。そして会員相互のネット交流を異業種交流の重要な手段として機能できるよう充実を図りたいと考えています。

今年で45周年を迎える東京山桜会。これを模範として、さらに全国区での支部結成を目指しましょう。母校追手門学院の教育改革を積極的に支援し、学院のインターシップ制度(体験学習)に社会人として受け入れ態勢を充実させましょう。中高生の職場体験などを通じての後輩指導は、卒業生ならではの社会貢献といえるのではないでしょうか。

今期は、さらに欲張って活動を進めていきたいと思います。

皆様方からの強力なバックアップをお願いいたします。

会員の皆様方のご健勝をお祈りします。

山桜会 会長 川原 俊明

平成14年4月12日

不惑を迎えて 追手門学院小学校 竹下 貴

卒業生の皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。

早いもので、追手門学院小学校に勤務するようになって16年の日々が過ぎました。紅顔の美少年だった私も40歳になり、先生方を年齢で2つに分けると、年配組に入るようになってしまいました。

先日113期生の卒業式が行なわれました。私にとっては5回目の卒業生で、初めて卒業させた103期生から数えると、ちょうど10年後ということになります。その間、105期生、107期生、111期生を卒業させましたが、それぞれに多くの思い出があります。

初めて担任したのは101期生の3年生でした。その時の教え子であった岩村美希さんは、現在教研の先生として2年生を担当されています。また、助永君や石川君は、臨海学舎のお手伝いに来てくれました。

103期生は、初めての5・6年生ということで、今から考えると妙に力が入っていたように思われます。一昨年、横石さんの所属する邦楽部の演奏会で上田君や石原君と出会い、和やかなひとときを過ごしました。

105期生は1・2年生と5・6年生の4年間に渡り担当しました。初めての4クラスということで、何もかもが新しいシステムになり、今に引き継がれています。先日、成人の日学年合同同窓会が行なわれました。着物やスーツに身を包んだ100名余りの人たちが出席してくれて、とても賑やかな会となりました。幹事をしていてつくづく便利になったなあと思うことは、メールでのやりとりでした。最初の案内葉書きを送ったあとは、出欠も諸連絡もすべてメール。近況を知らせる内容などは葉書きでは味わえないものでした。(ウィルスもついでに来ましたが・・・)また、山桜会のホームページに案内を載せていただいたおかげで、連絡のつかなかった人から出席の返事が届きました。インターネットを通して追手門の輪がつながり、さらに発展していく印象を強く感じました。

105期生成人の日学年同窓会

107期生は3月21日に、111期生は昨年の夏に同窓会がありました。113期生は今年の夏に行なう予定で、毎年のように多くの卒業生に会うことができて、教師としての幸せを感じています。

今、プライベートで将棋に凝っています。といっても始めたばかりで超がつく初心者です。対戦相手は、小学校3年生の長女が主ですが、インターネット対局(将棋倶楽部24)も始めました。この前、やっと13級に上がったところですが、昇級する喜びは何とも言えません。また、いろんな戦法や手筋を覚えるにつれて、将棋の奥深さにどんどんはまってしまっています。何年かかけて初段くらいにはなりたいなあと思うこの頃です。

この16年間、後ろを振り返ることなく仕事に取り組んできました。子どもの頃から小学校の先生になることが夢だった私は、本当に幸せな人生を送っているなあ、と不惑の歳を迎えてつくづく感じます。卒業生の皆さんも、自分の夢をかなえるべく、着実に歩んで行って下さい。そして、いつの日にかお会いして、語り合いましょう。

2002年4月8日

追手門学院小学校 井上 恵二

卒業生のみなさん、ご無沙汰しております。

今私は114期5年生(平成13年度現在)の担任をしております。6年生をひかえ、担任として日々研鑽を積んでおります。

先日、113期生の卒業式が行われました。あの厳粛な卒業式が行われるたび、今まで自分が送り出した卒業生のことを思い出します。時折、学校を訪れ近況を知らしてくれる人もいますが、今の生活に奔走しているみなさんにはなかなか母校を訪れる次官も少ないことでしょう。今を大切にして、若いうちに色々な経験を重ねたりっぱな社会人として活躍してくれることを願っています。

ただそんな中でも、人生の節目には何かしら近況を知らしていただければうれしく思います。楽しみにしております。また、山桜会の会報に自分の教え子の名前を見つけたときも、その子の小学生時代を思い浮かべ楽しんでおります。この場をお借りして、編集にあたられている皆様に感謝申し上げます。

追伸

追手門に勤務して14年目を迎え、自分の教え子とともに働くことになりました。今年40歳を迎えることをあらためて感じております。

2002年4月8日

教員3年目をむかえて 大手前学院大手前中高等学校 英語科 藤井 寿

私は追手門学院大手前教員3年目の藤井寿と申します。教科は英語を教えていまして、クラブはバスケットボール部の顧問を担当させていただいています。この度は私自身について少し紹介させていただきたいと思います。

まず最初に教科についてお話したいと思います。教科は英語なので正直、非常に大変です。本校の場合、中・高一貫教育なので、英語教師として必要な教科能力も中学英語教師、高校英語教師としての二つの要素を必要とします。厳密にいうと中学では会話中心の使える英語を目的とした授業能力、高校では大学受験の為の受験英語中心の授業能力です。従って、両方の能力が必要とされ、それらを極めるのにも倍の時間がかかってしまいます。また本校は小規模の学校の上、コースを細分化しており、英語も習熟度別の授業を行っている為に、1人の教員の授業担当が5~6種類にもなってしまい、質の高い授業をやろうとせっかく時間をかけて教材研究を行ってもほとんどの授業が一回限りで終わってしまいます。しかしその反面、英語教師としての能力を幅広く身につけることができるのは嬉しく思いますし、学校・保護者・生徒からの期待も大きく、非常にやりがいのある教科であると誇りに思っています。

次に学級担任を経験してみての感想について述べたいと思います。実際、手を焼く生徒が多いことは事実ですが、みんな根はいい子で、素直な心をもっていると思います。私自身まだ2年目でまだまだ担任として能力不足なところはあるのですが、一生懸命にやっていると生徒達はそれを理解してくれて、しっかりと認めてくれているからです。学級担任として、生徒指導、学習指導、叱り方、ほめ方、指示の出し方、トラブルの解決の仕方等、学ばねばいけないことは山ほどありますが、生徒の為に少しでもはやく身につけていきたいと思っています。

最後にこの学校の先生方について感じたことを書きたいと思います。それは、非常に教育に関して真剣である先生方が多いということです。教師という職業を、仕事という枠をこえて取り組んでおられます。また、全員の先生方が人間的に温かく良い先生で、このような職場で働けることを嬉しく思うとともに、非常に感謝しております。まだまだ教科面でも担任面でも至らないところはありますが、先輩の先生方と共に働くことで乗り越えていけるように思いますし、また一つでも多くのことを学んでいきたいです。

これからも一日一日を精一杯努力し、少しでも良い教師になれるようにがんばっていきたいと思います。

大手前学院大手前中高等学校 英語科 藤井 寿

大手前学院大手前中高等学校 英語科 藤井 寿

2002年4月8日

無名劇団(大手前中・高演劇部OB会)2002年4月2日(火)

はじめまして「無名劇団」です。私たちは、追手門学院大手前中・高等学校演劇部のOB劇団です。50年の歴史を持つ我が校の代々の卒業生が長く構想を温めた末、この春ついに始動することになりました。記念すべき第1回公演は、4月2日、3日に森ノ宮プラネットホールにて 中條岳青(49期卒)・作「203/205」を上演いたします。「大阪で最も有名な無名劇団」を目指して歩みだそうとする、私たちの確かな一歩を是非観に来て下さい。

公演案内:2002年4月2日(火) 14:00 18:00

4月3日(水) 14:00

於 森ノ宮 プラネットホール

入場料

前売り:一般 800円 高校生以下500円

当日:一般1000円 高校生以下500円

劇団ホームページ:http://www5.ocn.ne.jp/~otemon/

開催日:2002年4月2日(日)PM2:00より

開催会場:森之宮プラネットホール

連絡先:mumeigekidan@hotmail.com

主催者:無名劇団

「生活科では」追手門学院小学校 岡森 祐

皆様、お元気ですか。101期生の3年生を担当したのが、今から16年前。

現在(H14.3)は117期生2年生を担当しています。

昔、教科としてなかった生活科について、写真と共に説明したいと思います。

まずは、生活科の目標は以下の通りです。

平成13年度 生活科 目標

[生活科の目標]

自ら考え、生き生きと行動できる子を育てる。

[生活科で育てたい子どもの姿]

「生活力のある子」

・自分の力でやりとげる子・自分らしさを出して、ものごとに取り組む子

[追手門の子として]

・物を大切にする心   ・強いからだ

・礼儀正しさ       ・親切

[具体的指導内容]

1.具体的な活動や体験を通して、自主性を養う。

2.自分とのかかわりで社会や自然をとらえる。

・公共物・・・・・・・公園や乗り物等の公共物の使い方を養う。

・交通安全・・・・・下校班活動・校外班(縦わりの班づくり)、生活指導・

(登下校)日々の集団下校・土曜日の学年一斉下校を通して社会のルール。

・樹木、草木・・・校内(中庭・運動場)、大阪城の樹木、桜の宮公園、

淀川河川敷などでの草木探し

・昆虫類・・・・・・校内、大阪城での昆虫探し

・哺乳類・・・・・・動物園などに行くことにより自然に関心を持つ。

3.自分自身への気づきを大切にし、気品のある子を育てる。

・礼法の授業などを通して気品のある子を育てる。

・みんなと一緒に活動することにより、仲間意識を育てる。

・自分の成長に気づかせる。

・自分の良いところなどに気づかせる。

4.生活上必要な習慣や技能を身につけ、自立への基礎を育てる。

①ものとのかかわり

・中庭での遊びや活動に必要な用具の準備や後始末ができる子を育てる。

・手や体、はさみなどの道具を上手に使うことができる子を育てる。

・ものを大切にすることができる子(記名・最後まで使う)を育てる。

②人とのかかわり

・学校探検などを通して自分からすすんで話したり、

尋ねられたことに答えたりすることができる子を育てる。

・友だちと協力して活動できる子を育てる。

・教室や中庭などで、友だちと仲良く遊ぶことができる子を育てる。

・挨拶、言葉遣い、靴並べなどができる子を育てる。

③社会生活とのかかわり

・約束やきまりを守ることができる子を育てる。

・学校や家庭のなかで自分にできることをすすんで行う子を育てる。

・感謝の気持ちを持つ子を育てる。

④健康や安全

・生命を大切にする気持ちを持つ子を育てる。

・手洗い、歯磨き、洗顔などができる子を育てる。

1,2年生の年間計画は次の通りです。

1年生 生活科年間指導計画一覧表

2年生 生活科年間指導計画一覧表

生活科の授業のスケッチです。

春をさがそう! 中庭にきれいに 咲いた花を みんなで スケッチしました。

春をさがそう! 中庭にきれいに 咲いた花を みんなで スケッチしました。

くつをあらおう! いつも学校で 履いている青靴を 洗いました。

くつをあらおう! いつも学校で 履いている青靴を 洗いました。

パン作りをしよう! 家庭科室で アンパン ・パンダパン ・クリームパン を作りました。

パン作りをしよう! 家庭科室で アンパン ・パンダパン ・クリームパン を作りました。

ほし柿作りをしよう! 皮を自分でむき、 みんなで ほし柿を作りました。

ほし柿作りをしよう! 皮を自分でむき、 みんなで ほし柿を作りました。

移動動物園 中庭に動物たちが やって来ました。 皆でえさをあげたり 、触れたりしました。

移動動物園 中庭に動物たちが やって来ました。 皆でえさをあげたり 、触れたりしました。

日本一の おかしの家を くぐろう!  歩いてすぐの 大手前 栄養製菓学院 からの招待。 お菓子の家を 通り抜け、 お土産に 全員クッキーを いただきました。

日本一の おかしの家を くぐろう! 歩いてすぐの 大手前 栄養製菓学院 からの招待。 お菓子の家を 通り抜け、 お土産に 全員クッキーを いただきました。

以上で生活科についての話を終わります。

最後に、生活科の授業を通して自ら考え、

生き生きと行動できる子を育てていきたいと思います。

2002年3月24日

追手門学院大手前中・高等学校 理科 池田 公昭

理科 池田 公昭

理科 池田 公昭

(迫手門学院高等学校10期生)

我々の中での10期生は追手門学院中高等学校の10期生の意味なのである。その高校に私は就職した。

私が高校生の時ならった先生は英語の井町、寺田、数学の高田、赤井、国語の神楽岡、岩野、日本史の酒井、世界史の中川、物理の内田、化学の藤田、生物の入木沼、体育の神谷、中島先生などであった。

そういう人たちは茨木の高校の方に移っていった人が多い。

私と高校でいっしょに働くことになった先生は、崎山、辻井、山本治、森先生などであった。

今、本校はグラウンドはアスファルト製で校舎は鉄筋校舎だが、43年前の本校は土のグラウンドに木造校舎であった。校舎の屋根は赤色で校内の廊下は油を引いてあり、いつも油のにおいがしていた。

本校と大手前病院の間を市電が走り、北隣に古びたビルの大手前会館があった。

当時、私が高校生のころローマオリンピックが行われ、次のような新聞記事を読んでおもしろかった。「アメリカなどの西側の女子陸上競技選手のショートパンツに動きやすくするよう外側に切れ込みを入れた。そうすると下着などが少し見えて色っぽい、それで男子選手や観客に声をかけられ、嬉しくてヤル気持が出てくる。」というのである。私は大人の世界を垣間みた思いがしておかしかった。その次の東京オリンピックではお家芸の柔道で日本一の神永がオランダのヘーシンクに押さえ込まれて負けた。次のメキシコオリンピックの時は私はもうこの学校で教師をしていて「メキシコオリンピック」という映画を学校の映画鑑賞で見にいった。

当時いっしょに働いた先生は阪口、佐伯、原田、出口、竹内、山田、鈴木豊、崎山、荒西、亀山、大村、清水智、辻井、多田、平見、井手、沼口先生などであった。

この学校に32年つとめて不思議に思うことの一つは校長の決め方である。校長は35名程の専任の先生方の選挙で選ばれる。生徒達が代議員や学級委員を選ぶのと似ている。

白票を投ずる人もいるので15票ほどとれば校長になる。

任期は3年(以前は2年だった)で、この32年間で小田、鈴木、村井、荒西、阪口、中谷、佐伯、出口、山本、大村、竹内、小柴、亀井と13名が校長職となった。

平均在任期間は2.5年である。このことと、この学校が発展しなかったことと関係があるような気がする。

私が母校の追手門高校につとめている間に日本という国も大いに発展した。

その原因に日本人の特質のようなものがあるように思うのである。ある外国人記者が毎日新聞に書いた記事によると、日本の発展は日本人の談合体質によるものだという。日本人はむやみやたらと争わないで話し合いでカタをつけるので体力を消耗しないのだという。国政選挙でも自社公民推薦があって何かヘンに思う。日本人は判断の基準が、何が正しいか、ルール違反かどうかよりも、損か得かで行動を決めるのではないか。

学校の先生になってよかったことはいくつかある。

その一つは同じことを何年もつづけてやれるということで、生徒は新しくどんどん変わっていったが、私が教えている化学の教科書の内容は32年前とあまり変わっていない。

民間会社などでは、仕事内容は次々と何もかも変わるのではないか。

夏休みや冬休みなどの長い休みがって、心と体の休暇がとれたこともとてもよかった。

これで何回もリフレッシュをして寿命が延びた思いがする。

私は25期、28期、31期の中学3年間、46期の高校3年間の担任をした。

25期は今43才である。25期や28期の教え子の子供が本校に来るようになってきた。

その子供の顔を何食わぬ顔でジッと見つめていると、その親の顔とそっくりなところがあって面白いのである。生物学の不思議さのようなものを感じる。

10期生でクラスの名列表を1番から45番まで暗記している奴がいて、面白い奴だと当時思って私もマネをして覚えた。

油谷、池田(私のこと)、伊藤、浦上、江原、大野、岡田、木村、事口、米田、坂本、正垂、白川、新宮、関岡、田川、竹内、多田、中条、常川、寺そま、徳田、西浦、藤井隆、藤井教、藤原、本荘、正木、待井、水谷、溝口、村上、毛呂、青田、米田・・・・・・・たしかこうだったと思う。

2002・3・21記

追手門学院中高等学校  木内 淳詞

追手門学院中高等学校  木内 淳詞

追手門学院中高等学校  木内 淳詞

卒業生のみなさん、お元気ですか。私のほうは、肥満による脂肪肝や高尿酸血症に苦しんでいましたが、昨年より減量を始め、少しは体調も良くなっています。ただ、元来消化器系が丈夫なため、夏に太ってしまうので困っています。現在、第2期の減量作戦をたてていますので、今度どこかでお会いするときには、見違えるような私になっていることでしょう。

さて、私は今年度、50期生を担任し、高校では4回目の卒業式を体験させてもらいました。中学での1回を加えると、5回目の卒業式。私もいつの間にか歳をとって、37歳になりました。以前は「老けている」とよく言われたものですが、最近は保護者の方々から「若いですねえ。」と言われることもあり、どう反応していいのやら困ることもあります。今回担任した生徒の保護者の方で、私よりも年下の方がいらっしゃって、ドキッとすることもありました。「俺もお父ちゃんの年齢になったのかな」と思うと、まだまだのんびり生活している自分が恥ずかしく感じました。

校務分掌では、入試広報の仕事を中心にやらせていただいています。決して愛想の良くない私が、中学生やその保護者の方々、さらには塾の先生方と話をするのですから、結構ストレスがたまります。しかし、入学した生徒の保護者の方から、「説明会で先生に話をしてもらって受験を決めました。」というお話をうかがうことがあったり、早くから熱心に受験を考えてくれていた生徒が入学してくる姿を見たりすると、日頃のストレスも吹き飛んでしまうようです。卒業生の皆さんがどのような思いで高校生活を送られ、今、どのような思いをお持ちなのか、私にはわかりませんが、追手門は私にとっても第二の母校です。

卒業生の皆さんが、追手門の卒業生であることを誇りに思っていただけるような学校であるように、「古くて新しい学校」を目指して努力を続けていきます。どうか、暖かい期待の目をもって私たちの教育活動を見守ってください。

またお会いできる日を楽しみにしています。

2002年3月19日

追手門学院中高等学校 英語科 井上 加代子

追手門学院中高等学校 英語科 井上 加代子

追手門学院中高等学校 英語科 井上 加代子

3月になったばかりだというのに4月上旬並の気温が数日続いているようです。「こんなに温かいと、4月の入学式の時には桜が散ってしまうのではないだろうか・・・」と有りえそうもない事を密かに心配しております。山桜会会員の皆様、お元気になさっていますか。

さて、追高を卒業してもう何年も経っている方もいらっしゃると思いますので、私の現況報告に学校の今の状況を織りまぜて書かせていただこうと思います。私は追高の英語科に勤務して17年になり、高校50期生を見送ったばかりです。

皆さんご存じのように、追高の卒業式は1月にあり、今年も1月25日だったのですが、正式な卒業の日はこの3月1日ですので、担任としては今やっとホッとしているといったところです。コース制を取り入れた過渡期の卒業生となり、在学中は戸惑うことの多かった50期生も、大学受験の合格状況を見ると、従来の追高と新しい追高の両方の良いところを生かして取り入れてもらえたのではないかと思います。

コース制になってあまり学校行事にエネルギーを注げなくなりましたが、今年の自治会・在校生による手作りの卒業式は、紙吹雪・テープカーテン・くす玉・垂れ幕・教室の飾りつけ・パーティー会場準備といった、昔ながらの心のこもったものでした。(感謝)

今や、追高も国際化の波にのり、少し前までは考えられなったネイティブの先生お二人による英会話の授業が中学全学年と高校1年で受けられるようになっています。ESSの部員だった人からは「羨ましい~!」という声が聞こえてきそうですが、残念ながら、数年前にESSクラブは廃部になっています。2年間程ESSの顧問をさせて頂いて、部員と共にハチ北で合宿までして発音や英語劇の練習をしていた頃が懐かしいです。大変なことでしたが同時に楽しいことでもありましたね。元部員の中には公立中学校の英語の先生になった人もいて、その時のことが結構心に残っているようです。

また寒くなる日もあるかと思いますが、会員の皆様風邪などひかれませんように、健康に留意されてお過ごし下さい。

2002年3月19日

祖父と偕行社と追手門 追手門学院小学校  東田 充司

卒業生の皆様、お元気でいらっしゃいますか。私は奉職して20年になりました。95・97・99・103・105・107期生を卒業させ、本年度は116期3年生を担任しています。大阪城を臨む学び舎から、皆様のますますのご活躍を祈念しております。

私が初めて追手門の名を知ったのは小学校時代です。南海(現阪堺電軌)上町線で小学校に通学していた車内で毎朝一緒だった、姿勢の立派な赤ネクタイの子が追手門学院小学部の子どもだったのです。揺れる車内で微動だにしないキリッとした革靴・制服姿の子どもが、実は私と同学年と知って驚いた記憶があります。

私の祖父は小学校の校医でいつも小学校に行くことを何よりの楽しみにしていました。私が小さい頃から小学校教員になる夢を持っていたのは、子どもが好きでいつも優しかった祖父の存在が大きいのですが、元陸軍の軍医だった関係で、事ある毎に大阪偕行社附属小学校で行われていた教育の素晴らしさを教えてもらっていました。それは軍医としての見聞によるものは勿論、医師仲間の卒業生の素晴らしさによる話が多かったです。生前は最年長現役医師というタイトルで新聞にも紹介された祖父でしたが、『世のため人のために役立ちたいから、死ぬまで現役医師で』という思いの根底には、大阪偕行社附属小学校卒業生の医師仲間への憧れもあったようでした。

縁あっての追手門への奉職が決まった夜、祖父は泣きながら喜んでくれました。その後も休診日にはよく大手前を訪れ、大手前中・高の正門や小学校本館が偕行社時代そのままなことに大いに満足していました。偕行社と追手門に脈々と流れる栄光と伝統を語る時、先賢諸氏の努力を十分に理解し感謝すること、学校のさらなる発展の為に日々の精進を忘れてはいけないことをいつも聞かされました。多くの卒業生の他にも偕行社と追手門のファンは多く、大阪市民の誇りになっているから、太閤秀吉さんの大阪城も追い抜くつもりで頑張りなさいとも言われました。

3年生の社会で子どもたちは追手門の歴史を学びますが、教員も先輩教員から徹底して歴史を学びます。その際に伝統を守ることは、まったく同じことを続けることではないと強調されます。常に進取の精神を念頭に、子どもたちを取り巻く環境を知り、柔軟に変える勇気を持って伝統を守り育てなさいと教えられます。

片桐武一郎校長先生時代の四半世紀、建学の理念をより発展させる為に多くの新たな試みがなされ、大阪偕行社附属小学校の名声はさらに確固たるものになりました。追手門学院小学校では今でも頑固なまでに礼儀に厳しい「古い学校」ですが、国際教育や情報教育に代表されるように常に「新しい学校」である側面も併せ持っています。皆様方の母校である偕行社と追手門が今まで同様日本の私立小学校教育界のリーダーの一校として活躍し、今後共益々発展する為に微力を尽くす所存です。

なつかしの旧本館は、創立110周年を機に110記念ホールや屋上プールをはじめとする新本館に生まれ変わりました。デザインにも教育内容にも伝統を生かしているので、天国の祖父は許してくれると信じています。

ただ、市電時代は「偕行社前」だった停留所名が「京阪東口」(今はバス停ですが)に変わっていることを残念がっていたことは、ちょっと気掛かりなままです。大阪市交通局関係の方がおられましたら「追手門前」をお願いしてみようと思うのですが、いかがでしょうか・・・。

2002年2月13日

追手門学院中高等学校  黒田 稔

今年度 追手門学院高等学校は50期生、追手門学院中学校は33期生が巣立っていきます。

卒業の諸兄姉様にはご活躍のこと、私ども教職員はこの上もない喜びであります。

追手門学院中高等学校  黒田 稔

追手門学院中高等学校  黒田 稔

さて、小生は大手前学舎にて、17期生が栄えある学院に入学された時に奉職いたしました。同年に大学が開校し、翌年の昭和42年に高等部が茨木へ移転してまいりました。18期生が茨木の第1期になります。その当時の入学式は中高等部玄関前の駐車場にてテント幕張りの中で取り行われた事が、完備されている現在からは想像も出来ず懐かしく思い出されます。中高等部に体育館が建設されたのは30期生の時であります。それまでは生徒と共に、グランドローラで泥んこになりながら、整備をしていました。ときには風の強い日は風向きを計算しながら、ボールを追っ掛け汗していた皆さんの姿が目に浮かびます。

現在の私は休日を利用して、四輪駆動車(4WD)にてアウトドアーを楽しんでいます。林道走行、悪路走行、トライアルロケーションそして何よりも楽しみにしているのが、雪中走行に没頭して、気分一新ストレス解消の一役を行っています。過去の最高なロケーションの出来事は、真冬の九頭竜湖にベースキャンプを張り、伊勢峠走破にアタックしたことでしょうかね。吹雪の中を10m前進するのに、何時間も雪との戦いに悪戦苦闘したり、暗闇の中を色々なライトに照らされた雪を見ながら、冷えきった身体をドラム缶風呂で癒す時は、この世とは思えない別世界に優しく包み込んでくれました。皆さんの中にこんな素晴らしく、楽しい趣味をお持ちの方がおられましたらご一緒しませんか。

私学は少子化時代に突入し、経営が厳しい状況にあります。我が学院も教育改革を持って、新たなる出発に踏み出し、21世紀の担い手となる多くの生徒の募集に努力しています。学校5日制実施など大きく変動するなか、追手門学院は6日制を踏襲し、更なる発展を目指し日々頑張っていきます。

卒業生の子供さんを教える事が多くなり、この上もない喜びであります。みなさんのお子様を学院に期待をして入学をさせてください。心よりお待ちしています。

2002年3月12日

「不惑」の年を迎えて 追手門学院中高等学校 住谷 研(数学科)

追手門学院中高等学校 住谷 研(数学科)

追手門学院中高等学校 住谷 研(数学科)

こんにちは。茨木学舎の住谷 研です。早いものでこの3月で追手門学院に勤めてから16年が経ちます。今年の1月で「不惑」を迎え(いまだに戸惑ってばかりなのに・・・)2人の娘は上が中学1年生、下が小学校3年生になりました。追中に通う生徒と自分の子供が同い年になるとは・・・本当に年月の経つのは早いものです。

さて、この原稿を書いているのは3月の中旬なわけですが、今年度私は高校3年生(50期生)の担任で卒業生を送り出したところです。もっともまだ進路が決まっていないクラスの生徒がたくさんおり、合格発表を待ちわびているところでもあります。

この学年の2年生から理系クラスの担任となり、今まで以上に進学を意識してそれぞれの生徒と接してきました。生徒たちも真剣に学習に向き合ってくれて、高い目標をもってがんばってくれました。今も制服で学校に勉強しにきている者もいます。そんな生徒たちの夢がかなうことを願ってやみません。本来なら卒業生を送り出したこの時期は充電期間として少しほっとできるはずなんですが、今年はなかなかそんな気持ちになれないのが実情です。

あわただしい3学期ではありましたが、この2月には本校スキー部出身の中西君が、ソルトレークオリンピックのスキーで、フリースタイルエアリアル種目(カタカナが多いなあ)の日本代表として出場すると言う嬉しいニュースがありました。モーグルに比べて脚光を浴びることが少ない種目ではありますが、日本選手権4連覇という偉業を成し遂げ、堂々の出場そして演技でした。私も衛星放送で彼の雄姿を観て、大いに元気をもらいました。

学校では土井校長が彼のホームページから写真やプロフィールを取り出してくれまして、それをもとに号外を出したり、現役スキー部員と自治会有志が応援の垂れ幕を作ってくれたりして、明るい話題となりました。ちなみに垂れ幕の字体は佐藤教頭にフリーハンドで型紙に書いてもらいました。

そんなこんなをABCラジオ「おはようパーソナリティ道上洋三です」に投書したら、放送で取り上げられ(2月18日の月曜日6時55分頃だったようです・・私聴いてませんでした)、約7分間ほど中西君の紹介をしてくれました。伊藤ハムのギフト券を頂きました。どなたかお聴きになったでしょうか。

先日、長野に住む中西君に連絡をとり、その号外と垂れ幕の写真を送りました。今度は学校で「生」の彼と再会したいものです。彼に限らず、卒業生が学校に来てくれて元気な姿を見せてくれると、私も元気をもらえます。暇ができたら職員室に遊びにきてください。学校が変わりつつある今、多忙な毎日が続いていますが、改革の一助となれるよう頑張っております。

卒業生の皆さんも、厳しい時代ではありますが、人との関わりを大切に荒波を乗り越えていきましょう。

2002年3月12日

追手門学院中高等学校 上ノ山 季佐恵

追手門学院中高等学校 上ノ山 季佐恵

追手門学院中高等学校 上ノ山 季佐恵

こんにちは、上ノ山 季佐恵です。

この間、50期生の卒業式が終わりました。思えば、私がこの追手門学院で勤務するようになって初めての感動的な25期生の卒業式から四半世紀が過ぎてしまいました。最近では、皆さん(『かつての私の教え子』と言わせていただきます)のお子さんを生徒の中に発見して、驚愕したり、つくづく”私も歳とってしもたナア”と妙な感慨にふけったりすることもしばしばです。

人生の中で、高校時代ほど美しい季節はないと思います。何かと慌ただしいご時世ですが、気軽に追手門にも顔を見せてくれたらいいですね。卒業からどれほど歳月が流れていたとしても、追高の青春時代、ひたむきな季節を生きた季節を振り返ってみることは、又、新しい元気を与えてくれるに違いないと思います。

2002年3月7日

追手門学院中高等学校  米田 弥和

追手門学院中高等学校  米田 弥和

追手門学院中高等学校  米田 弥和

2年間担任した50期生が先日卒業式を迎えました。担任としては既に3回の卒業生を送り出していますが、皆さん元気にしていますか?

50期はコース制が最初に導入された学年で、それに伴い授業や行事のあり方等が大きく変化しました。生徒たちの進路目標の達成を第一に考え、そのために教科指導に重点をおく指導をしてきました。既にほとんどの結果が出ている推薦入試では、ここ数年で最も高い合格率(37%)を残しています。1月19・20日に実施されたセンター試験では、科目別平均点偏差値が国語ⅠⅡ・数学ⅠA数学ⅡB・英語・日本史B・地理B・現代社会・物理B・化学B・生物Bで軒並み上昇しており、全体の平均点偏差値(800点型)も昨年度比で6ポイントも上昇しています。続く51・52期生も11月の全国模試で大躍進しており、今後が楽しみな状況になっています。

学習や進学の話題が先行しましたが、追手門の教育で大切にされてきたHR活動・自治会活動は健在です。今年度の学校祭は3年生の参加部門こそ減りましたが、2年生を中心に準備を進め、無事に終えることができました。ファイナルステージでの7役員・パート長たちの満足気な表情が印象的でしたし、ラブインに参加した3年生たちもステージに上がって、高校生活最後の学校祭を精一杯楽しんでいるようでした。

学校改革により一見様変わりしたかのように見える追高ですが、生徒同士のつながりと自主性を重視する教育は変わっていません。卒業生の皆様もお忙しいとは存じますが、ぜひ母校を訪れていただき、後輩たちの姿をご覧いただけたらと思います。

最後になりましたが、皆様のご健勝とご活躍を心より願っております。

2002年3月7日

追手門学院中高等学校  藤澤 弘

追手門学院中高等学校  藤澤 弘

追手門学院中高等学校  藤澤 弘

英語科の教員として追手門学院中高に勤務させていただき、今年(2002年)で17年が過ぎようとしています。

中20期、24期⇒高44期、中30期、中34期を主に担当させていただきました。この17年間は本当にアッと言う間に過ぎてしまったというのが正直な感想です。生徒達が自分に誇りを持てるようになるための何かのお手伝いができたらいいと思いながら日々を送っていますが、今は足を引っ張っていないことを望むばかりです。

現在は中学二年生の担任で、校務分掌は校外学習会議と学習統括委員会です。現在は特に校外学習で来年度から始まる海外語学研修を無事に、実りあるものにすることと、担任として34期をしっかり指導することを中心に頑張っています。

プライベートな面では田舎の亀岡で母と妻、一男一女の子供達と私、それから追手門で三年前に捨てられていて、今は昼は芝生、夜はソファーでごろごろしている立派な雑種の愛犬「テト」と暮らしています。たまの日曜日にするテニスと、このごろ肩身がせまくなった喫煙を楽しみにしています。

先日卒業生の結婚式に参加させて頂いて、卒業生と話したりする機会がありました。当然のことながら当時の生徒が今、社会で働いたり、主婦として立派に生活している姿を見て、その成長ぶりにびっくりしました。

いつも自分の中では生徒たちの時間は卒業の時から止まってしまい、そのイメージで卒業生を見てしまうからでしょう。しかし、多分私以上に卒業生達は随分年のいった私に驚いたことでしょう。

教員をしていて良かったなと思える時が幾度かありますが、その一つは卒業した生徒たちが頑張っている姿をみることです。追手門の近くに立ち寄る機会があったら、気軽に顔をだして下さい。

2002年3月12日

山桜会へ 小学校 杉田 圭一

卒業生の皆様、こんにちは。

早いもので、私が奉職してから、18年の月日が立ちました。私が小学校に来たときは、ちょうど東館が工事中で、北館はもちろん、本館も昔のままでした。運動場の南東に鳥小屋があって、ニワトリが数羽いました。オウムのピー子も健在でした。

それが、今は昔の建物は西館を残すのみとなり、すっかり変わってしまいました。(小学校のホームページをご覧下さい。)

しかし、外見は変わっても、行事などはほとんど昔のままで、伝統はしっかりと引き継いで、守っているつもりです。良いものは、これからも永遠に伝承していくよう努力してまいりたいと思います。

1 受け持った期生・思い出

99期3・4年い組 新任での初めて受け持つクラス。何せ分からないことだらけで、このころのことを思い出すと、穴があったら入りたいぐらいの数々の失敗をしました。その時の保護者の皆様が暖かく見守ってくれたから、お蔭様で今日があると、大変感謝しております。

103期の1・2年ろ組 2年生での劇「森の音楽会」は、大のお気に入りで、114期でもリバイバルしました。毎日、中庭で走り回って遊んでいましたね。(私が遊んでもらっていたのかも)ドラ新聞を書き始めたのもこの期生でした。皆さん、保存してくれていますか?

101期5・6年は組 初めての高学年。国語の指導で苦労し、毎日毎日、「ああ、もっと大学で勉強しておけば良かった。」と後悔しました。また、年頃の女の子にわんぱく男子、毎日が戦場でした。でも、今はとても良い思い出です。体育大会、5年男子で行った「青旗飛翔」のビデオは今でも時々見ます。本番の演技中に拍手をもらった時の感激は忘れられません。また、造形体操で笛を吹かせてもらったのも思い出に残っています。

104期4年は組 一年間だけでしたが、とても素直で明るいクラスでした。やはり、劇のことをよく覚えています。「イワンのたまご」たまごの割れる効果音を作るのに苦労しました。

104期5・6年い組 2回目の高学年でちょっと余裕が出るかなと思いきや、これも毎日いろんなことがあり、印象深い期生です。修学旅行の鹿児島で訪れた「知覧特攻記念館」が深く心に残っています。しかし、電車での旅はきつかったです。

106期5・6年に組 4クラスになっての初めての高学年。林先生と国語を持ちました。この時から、オペラのストーリーを台本にして劇をしました。モーツアルトの「魔笛」を題材にしました。(「魔法の笛」)

108期5・6年い組 劇はウェーバーの「魔弾の射手」から作りました。(「魔法の弾丸」)みんなでライフルを作ったのが印象に残っています。安達先生といっしょにもった最後の期生という意味でも印象深いです。

114期1・2年い組 久しぶりの低学年。学級新聞「ドラ新聞」を書くのに燃えました。確か300枚は書いたと思います。この時も、学級の児童とよく遊びました。すもうのような、レスリングのような遊びで(先生にみんながかかってくる)ズボンを破られたこともありました。

112期5・6年い組 劇はワーグナーの「ローエングリン」から作りました。(「白鳥の騎士」) 体育大会6年女子の旗のドリルも、101期男子から数えて5回目になりました。

2 学校では

現在は、114期5年ろ組の担任をしています。1・2年生で受け持った子供たちを再び持たせてもらいました。劇は、106期で演じた「魔法の笛」をリバイバルしました。

教科の方は、国語を松村先生(平成12年度より本校に着任)と二人で教えています。新出漢字のプリントは、内容を少し変えましたが、相変わらず出しています。熟語の意味調べもがんばってやってもらっています。このプリントをやってきた人は、きっと辞書を引くのがはやくなったと思うのですが、卒業生の皆さんはいかがですか?「今日のことわざ」も続けていますよ。

3 プライベート

相変わらず趣味の音楽に打ちこんでおります。15年在籍していた茨木市吹奏楽団は5年前に退団して、現在は、ホルンは大阪市民管弦楽団で、指揮は大阪ハイドンアンサンブルというところでやっています。大阪ハイドンアンサンブルには、山桜会の会員である卒業生も一人参加してくれています。詳しくはそれぞれのホームページをご覧下さい。そして、演奏会に足を運んでくだされば幸いです。

4 メッセージ

私は、現在ホルンと指揮を先生について習っています。指揮は、30を超えて から、ホルンは2年前から先生につきました。どちらも自己流でやっていて、いきづまってしまったからです。もっと早くに習っておくべきだったと後悔しています。

皆さんには、あてはまらないかもしれませんが、自己流には限界があるということを私は悟ったので、参考にしていただければと思います。やはり、その道を極めた人からは、教わることは実に沢山あります。

また、今しかできないこと、今しかやれないことに全力を注いで下さい。特に学生の間に勉強できることは、しっかり身につけてください。将来悔いの残らない人生を送って欲しいと願います。

2002年3月6日

追手門学院中高等学校 高橋 道代

卒業生の皆さん、こんにちは。村岡です。43期生とともに追手門にやってきて、はや10年が経とうとしています。一昨年結婚をしましたので今年度から、名前が「高橋」に変わりました。最近ようやく「高橋先生」と呼ばれることにも慣れてきたところです。

この10年の間に、43期・46期・49期と入学から卒業まで持ち上がることができて、本当に幸せだったと思います。今年度は初めての副担任で、「自分のクラスの生徒」がいないさびしさを思い知りました。今は高校1年・2年の古文と中学3年の特別国語の授業を受け持っています。中学生の授業で、社会科の藤原先生のご協力を得て、中国の北京にある中学校と文通をするという取り組みを行って来ました。そのご縁もあり、年末、北京に一人旅をして来ました。耳がちぎれそうな寒さでしたが、オリンピック景気で、北京は活気にあふれていました。交流している中学校も訪問し、授業も参観させていただきました。(写真はそのときのものです。)

今回の旅で、いろいろな方から刺激を受け、エネルギーをもらって帰って来ました。また、自分にも新しい何かにチャレンジする力が沸いてきた気がします。と、こんな風に私は生きていますが、卒業生のみなさんはいかがお過ごしでしょうか。また近況など教えて下さい。

追手門学院中高等学校 高橋 道代

追手門学院中高等学校 高橋 道代

2002年3月6日

茨木中高 本間 喜文

茨木中高 本間 喜文

茨木中高 本間 喜文

卒業生の皆様こんにちは! 茨木中高 保健体育科 本間 喜文 46歳です。

早いもので追手門学院中・高等学校に勤務し、24年もの月日が過ぎました。

その間、担任としては中学28期生、高校は34期生・38期生・42期生を受け持ち、充実した学校生活!?を卒業生のみなさんと一緒に過ごしていた頃を懐かしく思い出されます。現在は「生活指導」を担当しており、担任と違い直接に生徒達と触れ合う機会が少なくなり、複雑な思いで日々過ごしております。

本校もコース制を導入して、それぞれの目標に向けて学習効果がより一層上がるように気持ちを新たにし頑張って取り組んでいます。

追手門学院での教師生活では、生徒と一緒に「成長・学ぶ」場としてやってこれたことが自分の『宝物』となっています。「ALL FOR ONE,ONE FOR ALL」懐かしいでしょう?

今の生徒達とは年齢の差もありますが、これからも熱く接していこうと考えています。

卒業生の皆さんも公私共にお忙しいとは思いますが、学校の方に顔を見せに来てください。又、子供を追手門学院に入学させて頂くようにお願いいたします。

私事ではありますが、子供も中学2年生(長男)と1年生(長女)になり高校受験の時期を迎えようとしております。親としても子供がどんな成長を見せてくれるのか、心配でもあり楽しみでもあります。

2002年3月2日

追手門学院高等学校(茨木)28期同窓会

  • 開催日 平成13年9月23日(日) 11:00~
  • 場所 ホテルグランビア大阪 名庭の間
  • 参加人数 卒業生75名 先生2名 (杵築先生 阪本先生)

卒業以来22年ぶりの同窓会を開催しました。 当日、予想以上の参集に大いに盛り上がりました。 出欠席案内に寄せられたコメント集(一口文集)を同窓会当日に配布いたしました。

追手門学院高等学校(茨木)28期同窓会

追手門学院高等学校(茨木)28期同窓会

コメント集(一口文集)

コメント集(一口文集)