投稿者名と連絡先電話番号は確認のため必要ですので必ずご記入ください。
このフォームでは、同窓会・クラス会・OB,OG会の案内を掲載するためのものです。 ここで届けられた内容は、同窓会案内のページに掲載されます。尚、掲載内容確認のため山桜会よりメールをお送りさせて頂きますのでご了承下さい。
*はホームページにおいて公開されます。個人情報の掲載には充分ご注 意下さい。
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追手門学院中高等学校に勤めて早25年が経ちました。追高27期生の高2の物理を初めて教えた時の事が今でも強く印象に残っています。担任としては、29期生が初めてで無我夢中で戸惑うことも多かったですが、何とか卒業させた時の事が楽しくほろ苦く思い出されます。その年に生まれた息子もこの4月には大学4年生になります。私も白髪が増えるはずです。そして、32期、36期、40期、44期、47期、49期を卒業させ、今年度は52期の高1の担任を終えようとしています。
振り返ると、私も今までに、かなりの数の卒業生を出してきたことになりますが、卒業生の皆さん元気にやっておられますか。私は昨年度から物理だけでなく化学も担当しています。かなりの時期(20数年)、化学から離れていましたが、若いときに懸命にやったことはすぐに思い出せるものだと思いました。また、今年度の夏にコンピュータルームが出来て、コンピュータを使った情報教育も出来るようになりました。とりあえずは中学生の技術家庭の中の情報基礎で使っています。ホームページの作成や簡単なロボットのコントロールプログラムなどもさせています。いつも我先にとコンピュータルームにやってきます。新しい事に対する興味は若い者ほど強いのだと思います。再来年度からは高校でも”情報”の科目が必修になるので、そのための準備の方も忙しくなりそうです。
是非皆さんも、自分の得意とすることに磨きをかけ、自信を持って頑張っていってほしいと思います。そして、ときに追高を思い出すことがあったら、遠慮なく”母校”に顔を出してください。多少校舎等雰囲気が変わっていても、懐かしい顔ぶれがまだ何人も残っています。一寸昔話等をして元気な高校の時の事を思い出し、お互いにエネルギーを与えあえるかもしれません。再会を楽しみにしています。(写真も添えるように言われましたが、それは会ってのお楽しみにします。)
2002年8月23日
猛暑が続いています。会員の皆様、如何お過ごしでしょうか。
閑(しず)かさや 岩にしみいる蝉の音
松尾芭蕉の「おくのほそ道」での有名な1句を自分の句にしたいくらい、今年は、蝉の大合唱が夏の暑さをよけいに盛り上げているようです。
山桜会では、この夏に、また一つ大きな収穫を得ました。 文化活動委員会(大向博委員長)主催のもと、追手門学院出身で、世界を相手にオーケストラを指揮する湯浅卓雄さん(小37年卒)との出会いがありました。
※ 元イギリスbbcスコットランド交響楽団首席客演指揮者 現在 イギリスアルスター管弦楽団首席客演指揮者
7月19日、シンフォニーホール。関西フィルハーモニーをバックに、イギリス有数の作曲家、ウイリアム・ウオルトンの「交響曲第1番」を力強く指揮する湯浅氏の姿に、追手門人脈の幅広さを実感した次第です。
コンサートの後、追手門の人たちだけの会食に特別参加していただき、山桜会の私たちにとって、世界的に活躍する指揮者湯浅卓雄を身近なものとして感じることができました。
夏の暑さを忘れさせるすばらしいひとときでした。 これを機会に、文化活動委員会にコンサート部会を立ち上げる機運が盛り上がっています。
暑さにめげない山桜会。 この6月から、大木理事長ならびに後藤学院長のご支援のもとに、学校法人に山桜会として実質2名(川原・秋山)の理事を送り出すことができました。これも、日頃の山桜会活動が認められた成果と自賛しています。 もちろん山桜会は、学校改革に全面協力する方針です。とは言え、追手門学院の既成方針のみに決して甘んじることなく、正すべきは正し、より建設的な意見を積極的に提言することによって、追手門学院の教育改革に役立つべく卒業生の声を反映させていきたいと考えています。
8月31日(土)に開催される真夏の山桜会チャリティゴルフ。大汗をかきながら、社会奉仕も兼ねて親睦の実をあげましょう。
皆さん、大いにご参加ください。
山桜会 会長 川 原 俊 明
2002年8月5日
追手門学院事務職員全体研修講演記録
2002年7月25日 大学5号館研修室にて 川原会長
学校改革と職員の役割
【序】
今回、「学校改革と職員の役割」というテーマで話をせよとのことであります。
大変なテーマを与えられて、何か話をせよ、ということなので、自分なりの考えを進めていきたいと思います。私は、毎日、追手門に詰めているわけでもないので、何を言っても後で、みなさんから石を投げつけられないでしょうから、気楽に話を進めてみたいと思います。
【私の立場】
学校法人でいえば、この6月からの新米理事。追手門学院とは、古いつきあいで、小学校71期大手前中高14期の卒業生・・45年前からのおつきあい小中高と12年間皆勤で通っていたものですから、大手前との関わりは、体にしみついてしまっている。
学校の先生方との思いでも深いのですが、事務局の人々との思い出も多いのです。
追手門学院出身の割には、経済的に恵まれない時期があり、中高のころですが、授業料の支払いが遅れて、こそこそと出納課に一人で持参した思い出もあります。
給品部のおばさんに親切にしてもらったり、守衛室のおじさんとも仲良くなったりした記憶があります。
当時も、生徒には、総じて好意的な職員の方々が多かったような気がします。
大手前中高の卒業が昭和41年なので、同期の多くが追手門学院大学の進学しました。大学1期生が私と同期となります。
先生方の中では、茨城中高の坂田先生、講師の松村千景先生、大手前中高の理科の横井先生、辞められた英語の岩崎先生が同窓生です。職員にも私と同期の方が活躍しておられる、と聞いています。
卒業生組織の山桜会会長をしています
仕事は、弁護士をしています。この4月から弁護士法改正に伴って、わが法律事務所も弁護士法人となり、弁護士・事務職員あわせて14・5名の人材を動かしており、法律事務所内部では経営者的側面も持っています。
【教育改革と組織改革の基本は、母校愛から】
いま、追手門学院では、近年、教育改革を掲げ、その実践を進めようとされています。
山桜会でも、この問題を取り上げ、伝統ある追手門学院を、伝統に安住するだけでなく、往年の名門の姿に復活させたい、ということを主張してきました。なぜか、私たち卒業生にとって、追手門学院の看板は、一生つきまとうものですから、重大な関心があるわけです。その裏付けは、母校愛でしょう。
その点、職員のみなさんが、本当に追手門学院の教育改革・学校改革に取り組んでいこうとされるのであれば、職員のみなさん自身にも追手門学院に対する母校愛を持つことが必要なのではないでしょうか。
職員の多くのみなさんは、追手門学院出身でないかもしれませんが、長期間にわたって仕事に多くの時間を費やす追手門学院が自分の職場でありますので、いわば第二の母校という感覚を持って、職場を愛し、学校を愛する、という観点から母校愛をもっていただく。このことが学校改革の出発点ではないでしょうか。
嫌々仕事をしていては、得るものは何もない。自分の職場をよくする、学校の名声を高める。職場に誇りを持つようにする。そのためにどうすればいいか。どう改革すればいいかを考えていく必要があります。
【なぜ教育改革が必要なのか】
今は学校間の淘汰という時代に入っています。学校間でサバイバルゲームが始まっている、ということです。魅力のない学校は倒産する。力のない学校は吸収合併によって歴史に幕を閉じてしまう。これが現実のものとなってきました。2週間くらい前の日本経済新聞にもでていましたが、国公立の大学そのものが、法人化問題に関連して統廃合が進められている。親方日の丸の学校ですらこの問題が深刻に議論され、現に10数校が名前を挙げられています。ましてや私学となると、学校の経済力・生徒の集約力・人気など、経済社会における需要と供給のなかで、淘汰が進められるということです。学校の力関係そのものが直接経営に影響を及ぼします。
最近、小泉首相が、経済構造改革を唱え、郵政事業や道路公団のの民営化が議論されています。その中で見落とすことができないのが、財政補助金制度の見直しです。主に政府予算の中で、補助金は、公共事業や福祉・教育に当てられています。特に教育に関して言えば、私学教育補助金の削減傾向がさらに検討されている、ということです。私学である追手門学院の経営にも、絶対影響がでてきます。今のうちに、追手門学院の体質を改善し、強固な基盤を確立する必要があると思います。
【教育改革必要の背景】
教育改革の必要の背景には、みなさんご存じのとおり、少子化問題があります。少子化と老齢化社会のなかで、生徒数・学生数の絶対人数の減少傾向があります。
中国と違って、一人っ子政策を採らない日本が子供が減って、一人っ子政策を採る13億の人口を抱える中国が人口増大に悩んでいる。これも矛盾した話ですが、これが現実です。
夫婦に子供がいないと離婚もしやすくなります。養育料の問題や親権のことで頭を悩まさなくていい。互いに、つぎにいい男や女をを見つけよう、ということを考えやすくなります。離婚件数の増大現象は、離婚事件を扱う弁護士にとって経済的に好ましいのですが、社会的には、決してよいことではない。かといって昔ほど、離婚は、世間から白い目で見られない時代になってきました。逆に、バツイチ、バツニの肩書きを勲章みたいにしている人がでてきているほどです。どうかと思いますが・・。
とはいえ、あまり我慢をしてせっかくの一度の人生をつまらない男に拘束される必要はないと考える女性が増えています。最近の男は頼りないのが多いので、今から結婚される女性は、よく男を吟味してから結婚を考えてください。今日は離婚相談の演題ではないのでこれくらいにしますが、、。
いずれにしても、少子化を改めるためには、家庭に子供が多ければ多いほど、税金が優遇され、子供と友に快適な家庭生活が保障されなければならない。社会保障も、充実しなければならない。
子供を抱えながらも夫婦がともに働ける環境が不可欠。これはまさに政治の問題で、これが急に改善されるとは思えない。また、現代の若者達の価値観が個人主義、享楽主義に偏っていると思える節もある。自分たちが今さえ楽しければ、後はどうなっても、あるいは社会全体がどうなっても自分には関係がない、という考えが日本の若者に広く浸透しているように思います。
これは、戦後の教育が残した悪い部分の大きな汚点ではないでしょうか。アメリカの自由と平等、個人主義のいいところだけを採り入れたらよかったのですが、個人主義の意味合いが、義務を伴わない利己主義とはき違いをしているところに問題がある。ですから、日本の社会が、直ちには、少子化傾向を簡単には回復できない。でも、政策的には、どうしても変えていかないと日本経済は破綻してしまいます。かつて栄えた大英帝国が斜陽の国といわれたように。
【学校改革は同時に教育改革】
学校改革は、同時に教育改革です。
教育改革は、特に、教師に従前どおりの教育方針・教育のやり方のマイナスの部分を思い切って変えていく必要があります。そのためには、教師一人一人の意識改革が必要です。
追手門学院の教育改革を支えるもの、それは教師だけではありません。それは、みなさん職員の方々です。職員の協力がなければ、教育改革はあり得ない。
教育改革がなければ、追手門学院の未来はない。そのとき、教職員は職を失い、職場そのものを失ってしまうことになります。
教育改革は、職員の生活を守るためにも貫徹される必要があります。失業手当などわずかな期間だけです。根本的なことを考えて行動する必要がある。
どうすればいいのか。
【一人一人の意識改革】
それは、教育改革に向けた職員一人一人の意識改革が必要です。
一般的に、職場組織の中では、どうしても上からの命令でのみ動くことが良しとされる傾向にあります。
しかしながら、それはロボットでもできる。あるいは、コンピュータに任しておいても、実行できる部分が多くなってきた。それでは人間としての進歩がない。職員としては、指示された業務を誠実に処理することが当然必要です。しかしながら、それだけにとどまらない努力が必要ではないでしょうか。
一つの仕事に自らの知恵を加えて改善する。汗をかくとともに知恵を絞る。この努力が、もっと自覚的にあるいは自発的になされる必要があります。学校をよくするために、職場をよくするためにどうすればいいか。
追手門学院では、どの程度、職員の意見が反映されて学校運営されているのでしょうか。
あるいは、職員が、自発的に、どの程度、学校運営上の意見を伝えてきたでしょうか。
社会の先端企業は、社内メールを積極的に使って社員と社長の直接の意思の疎通を図るようになっています。追手門学院でも、職員の建設的な意見集約のシステムはあるのでしょうか。それがあれば風通しのいい職場になると思うのですが・・・。
職員の建設的意見は、尊重すべきところですが、ともすれば、従前から、私が伝え聞いている追手門学院の悪例が2つあるように思えます。
露骨に言うとみなさんから反発があるかもしれませんが・・。まだ、内情を知らない私の偏見かもしれませんが、講師の特権としてあえて言いますと・・。
1つは、自分の生活、自分の権利だけを守ろうとする意見が強いように思えます。
それが、現在の追手門学院の教職員の給与体系にひずみがでてきています。学校がつぶれかかっていても教職員の高い給与を維持しようとする傾向にある。リストラや倒産の嵐に見舞われた企業の世界からは理解しがたいものがあります。
2つ目に、人気投票の色彩強い校長選挙があります。
教職員に都合のいい校長を管理職におくことは、当面の自分たちには安泰な現象ですが、痛みを伴う教育改革には、完全なブレーキとなります。誤解のないように言いますが、学校といえども特殊な社会ではなく経済社会の1組織であることを再認識する必要があります。
わが法律事務所でも、弁護士と事務局が全員そろって毎月1回の事務所会議を開き、業務改善を議論しています。改革に痛みを伴うこと、従前の既得権は、何時までも維持できないこと、改革なくして前進のないことを議論しています。弁護士業界も、世間の注目を集めている法科大学院構想があり、弁護士増員問題に直面しています。弁護士業界も弁護士同士の競争社会になっていこうとしています。さらには、欧米からの外圧で、外国のロースクールを出て法曹資格を得ただけでも、日本の弁護士と対等に日本の法廷で弁護士活動を与えよ、との声が出ています。
その意味でも、従来、ギルド的に安泰であった弁護士業界も決して前途洋々でなく、淘汰の時代になってきたのです。この点、教育分野も非常に似ているところがあるます。さらに一歩、社会に目を向けますと、昨年から今年にかけて、企業の中でリストラの嵐が吹き荒れました。とくの団塊の世代である私たち、50代半ば。上からは無理を強要され、下からは突き上げを食らう割の合わない年代です。戦後のベビーブーム子として、生まれたときから競争を強いられ、高度経済成長を支えてきた私たちの年代は、不況期にさらに厳しい風にさらされる中間管理職の悲哀を味わっています。
サラリーマンが、そんな嵐に見舞われながらも、生活の糧を得る企業がつぶれたらおしまいです。企業が生き残り、多くの従業員の生活を維持するためには、企業を構成するみんなが多少の犠牲をしながらみんなの生活を守るという事態もやむを得ないことがあります。学校だってそうです。追手門学院だけが安住していられるわけがない。とはいえ、追手門学院でも給与カットが始まっています。それでも外部の私から見ると甘すぎる。追手門学院そのものをつぶしたらみんな失業者になってしまいます。労働基準法も、会社が存立しててこそ、その主張ができる、というものです。ワークシェアという変則型勤務形態を取り入れている企業も増えてきた。学校の教職員にも、このような形態があるかもしれません。
【自分の価値はいくらか】
昨日の朝日新聞に「自分の時価はいくらか」という記事がありました。
自分が退職し、再就職するにあたり、経験・資格・特技・によって自分がどの程度の価値があるのか。これを評価する機関もあるらしい。多くは自分が思っているより厳しい評価がなされているようです。私たちも自分自身の時価がどの程度なのか、自分なりに考えて、果たして価値があるt評価されているのかどうかを、客観的にみてもらう必要があるかもしれません。
【ワールドカップと日本】
ワールドカップでにぎわった韓国は、5年前にあたる1997年末、経済システムの破綻でimf・国際通貨基金の管理下にあり、借金だらけの破綻寸前の国となりました。ところが、徹底した社会経済改革のもとで、わずか数年で、企業が盛り返し、いまやサムソンやヒュンダイが、世界を席巻しようとしています。企業も徹底して改革を実践しました。5パーセントルールといって、役に立たない従業員の下から5パーセントに希望退職させる徹底ぶりです。
これに比べたら、日本は甘い。韓国と比較して日本は、ワールドカップの戦い方も甘かったけれど、企業改革も甘い。平和ぼけしています。このままでは日本は凋落してしまいます。
でも、韓国の例をみても、戦後の日本の復興課程を見ても、思い切った改革をすれば、この経済不況もはねとばせるし、追手門学院が教育改革に成功すれば、学校間のサバイバルゲームにも勝ち残れます。その改革の正否は、ひとえに職員一人一人の追手門学院に対する母校愛、そしてそれに裏づけられた個々の職員の改革意識の高揚にあると思います。
みんなで痛みを分かち合いながら教育改革・学校改革を成功させましょう。本日は、ご静聴ありがとうございました。
卒業生のみなさんこんにちは。各方面でご活躍のことと思います。時代と共に変わりつつある学校で、どんな生徒を育てるのか、教師として難しくなってきています。それは世の中のスピードが早すぎて目まぐるしく変化する社会の中で、育てるということは最も時間と根気のいる仕事だからです。効率優先の社会とはなじまない仕事です。日々生徒とかかわり、思い悩む事さえあります。昔の生徒と違ってとても手がかかります。色々なマニュアルが必要かと思うほど一つ一つ説明しないと、次の動作が出来ない生徒が増えてるからです。
覚えてますか?追高用語を。J茨・阪茨・追いっている・安威マジックなど色々ありましたね。今も使われています。先日何げなくJ茨と使い一般の人に不思議に思われてしまいました。
この写真は高校50期の卒業式のものです。卒業式後生徒が「みんなで一緒に撮ろうよ。」と言われ撮ってもらったものです。この制服が52期から変わりました。時代の流れと、機能的に着やすいものです。この制服を着て育った卒業生のみなさんには、多くの思い出があることだと思います。追高は古き良き部分を残しながら、新しく変わろうとしています。その中で休み時間など、出入りの多い追高の保健室は、今も昔も変わりません。
今の時代だからこそ、ホッと出来る空間。そんな場所が必要だと思います。
一人一人の生徒を3年間または6年間、長い目で見ていける保健室は今も「癒しの場」としても、日々生徒を受け入れています。
卒業生のみなさんいかがお過ごしですか。
青春時代の思い出の場所にお立ち寄り下さい。きっとまた明日への活力が涌いてくることでしょう。
2002年7月26日
卒業生のみなさん、お元気にお過ごしのことと思います。
私も、16期生のひとりとして本校を卒業しました。高校入学後すぐに野球部に入部して、春夏の甲子園出場を目指して練習や試合に励んでいました。小学校の校庭や桜宮の河川敷グランド、大阪城の野球場などで何時に終わるかわからない厳しい練習や新チームになって9人とか13人位で行われた、夏休みの合同強化合宿などを懐かしく思い出されます。
3年時、大手前から茨木に移転し真新しい校舎やグランドでのびのびと学校生活を送ることができました。高校3年間は、学習はほったらかしで野球ばかりやっていたように思います。甲子園には出場できなかったけれど、高校生活や野球部の活動を通して素晴らしい友だちにめぐり会えたことを誇りに思っています。その後大学に進学し、同じように4年間野球に明け暮れました。
大学卒業後、保健体育科の一員として本校に勤務して約30年になります。今でも若いと思っていますが、高校当時在職されていた先生方がほんの僅かとなり、私自身も歳をとったのだなあと実感しています。野球部への関わりも、監督あるいは責任教師として部員とともに夢を追いつづけています。
一方で、24期、27期、30期、34期、38期、40期、43期は2年まで担任をさせていただきました。それぞれのクラスや学年で、クラス活動・体育祭・文化祭・修学旅行・卒業式などの行事では、あの学年のあの時は「こうやったなあ、ああやったなとかあいつは今どうしてんのかな」とか、こういうのを書いていますといろんなことが頭に浮かんできます。在学中何事にもまじめに取り組んだ生徒よりも、私や私たちをよく悩ませてくれた生徒のことを本当によく覚えています。夢にでてくることもあります。卒業生の皆さんも、在学中のことをよく覚えておられることでしょう。
一度、学校に遊びに来てください。お会いできる日を楽しみにしています。では、お元気にご活躍ください。
2002年7月24日
卒業生のみなさん、お元気ですか?お久しぶりです。
「ふりかえれば」
思えば昭和の終わりの年からの勤務を始めましたので、平成の年数分本校に在職したこととなります。最初の年が本校100周年記念間近という頃で、この時期、恐ろしく多忙だったことを覚えています。右も左もわからないまま、午前零時を越す仕事が続きました。先輩の様子を見ていると、「生き馬の目をぬく。」とはこのことかという仕事の速さと凄まじい体力に驚かされました。その熱心な仕事ぶりに感動し、また自分で勤まるか不安を抱いていたものです。
さて、最初は教育大学での専攻が図工科であったため、図工科専任として指導をしていましたが、すぐに本校4クラス制の時代が訪れ、それに伴い担任業務にあたるようになりました。思えば勤務年数のほぼ半分は高学年担当であり、副担任や担任として国語の指導を行ってきました。高学年では、3・4階の研究室にこもることが多く、ここしばらくは、低・中学年の児童や保護者のみなさんからはあまりなじみがない教員かもしれません。
これまでに担当した学年は、103期・105期・106期・110期・111期・113期、それに本学年より担任をしている117期です。男子のみなさんとは、剣道の指導で必ず顔を会わしています。ただ5・6年生の週1回の指導ですので、お互いの人となりがわかった頃に卒業してしまうという感じです。これまでの間私なりに熱心に指導してきたつもりですが、児童や保護者のみなさんに色々とご無理を申し上げたことをこの場をお借りしてお詫び申し上げます。
本校の教員は、それぞれが研究教科を持っています。勤務以来ほぼ私は、国語科・体育科・図工科が研究教科です。国語科でも年齢では中堅の位置づけになりましたので、「がんばらないと。」と気持ちを新たにしております。先ほどもふれましたが、体育科では、クラスの体育指導だけではなく、岩渕先生とともに男子剣道の指導も行っています。ちなみに岩渕先生は大学剣道部の先輩にあたります。図工科では、図工科主任として学校外の活動も行っています。
「父親と」
現在も私の父、竹男は本校に図工科講師として勤務しています。職場は同じでも仕事の環境が全然違うためほとんど学校では顔を会わすことはないですが、父の勤務日には一緒に車で登校しています。同じ職場に勤務することは、照れくさいところもあるのですが、本当にありがたいです。父も高齢なので、勤務が後何年続くのかわかりませんが、現在を大事に過ごしていきたいです。
「絵を描く」
趣味は、他人より多いほうでしょう。結局の所油絵を描くことが自分に一番しっくり合うのだと思います。ここしばらく追手門誌の表紙絵も描いていますが、これはコンピュータで書いています。一時このようにデジタルで描くことにはまったのですが、最近では、やはりキャンパスに絵の具で手を汚しながら描くのが良いと思うようになりました。本来は油絵の絵の具で描くのが良いと思うのですが、アクリル絵の具で描くことがほとんどです。アクリルは水彩のような扱いで乾燥も速く油絵のようなタッチが再現できるのですが、色の調子を合わせるのが難しいです。油絵には、褐色の油が混ぜられていて、この色味がどの色とも調和させる役目を果たすのですが、アクリルは無色透明の水を媒介としているため、色調のずれがはっきりと画面にでてしまいます。アクリルは鮮やかな色調が長所で、あまり混色をせず画面を完成させる人が多いと思いますが、自分の場合積極的に混色するようにしています。当然彩度が下がってしまうのですが、アクリルの短所である色彩の軽々しさも減少し、しっかり使えるようになりました。
ここしばらく何をテーマに描けばよいかと題材探しに苦しんでいたのですが、公募展などで多くの作品を鑑賞していると「何を描くか。」ではなく、「どう描くか。」が問題だと感じるようになりました。外国のように遠いところでなく、何度も足を運べる身近な所を探すようにしています。
「私の転機」
2年前に愛(めぐむ)と職場結婚をしたのですが、結婚は私にとって人生の大きな転機でした。「結婚は人生の墓場」だという人がいますが、それはモテモテの人の場合であり、結婚は私にとって多いにプラスになりました。妻は元来明るい性格なので家の中でいつも笑いが絶えません。
続いての天気は、息子隼一朗(じゅんいちろう)の誕生です。(誰でも親ばかになりますね。)現在9ヶ月でいたづらざかりです。やけにおとなしいなと後ろ姿を見ていると、箱の中よりテッシュをばしばし引き出していたり、スリッパをくわえていたりしています。私が絵を描いていたりして相手をしないと怒ります。(現に今もこの原稿書きを邪魔している。)最近は数秒ほどですが両手を離して立つようになりました。
その影響もあって、自動車に関して本来スポーツカー寄りであった自分が最近ではミニバンの試乗に行ったりしています。そのうち大きな四角い車をみかけたら運転しているのはきっと私でしょう。
結婚をし、子どもが出来たことで、子を思う親の思いがはっきりとわかるようになりました。
「走ること」
スポーツでは健康管理の為にジョギングをすることが多いです。一時は勤務した頃と比較すると10キロ近くは体重が増加していました。フィットネスにはげみ、リバウンドがあったこと、給食が高カロリーだということ、そして高学年担当が続いたことが原因と思われます。昔の卒業生に出会うと、こちらがあまりに様変わりしたので大変驚かれるほどでした。自分の健康管理の不足を反省し、昨年は体重を落とすことに専念しました。現在ピーク時に比べれば、7キロほど体重が減少したので一安心しています。
「最後に」
最後に自分として最近心掛けていることは、時間をできるだけ無駄にしないということです。久々の中学年なので、教材研究にはげむ!新しい子どもたちと早く仲良くなりたい!春の展覧会が近い!隼一朗がバブバブ言う!夏までにラジコンの複葉機を飛ばしたい!やりたいことがたくさんあります。
なによりこの春卒業した113期のみなさんに若さと時間を浪費するなと言葉を贈った手前、あれこれ積極的に生きていきたいのです。
体育祭や文化祭では気軽に声をおかけくださいね。みなさんと再びお会いするのを心より楽しみにしています。
2002年7月11日
今年は大槻先生が古希をお迎えになられます。たくさんの同窓生でお祝いしましょう。
開催日:2002年6月16日(日)PM1:00より
開催会場:新阪急ホテル2階「星の間」
主催者:小学部76期生は組
「恩師」とは言っても、私の知っている卒業生は112期生だけなので、「恩師」と呼ばれるのが大変気恥ずかしいというのが正直なところです。
それはさておき、112期生のみなさんお元気ですか。早いものでもう中学2年生なのですね。中学校生活も一年が経ち、もうすっかり慣れたことでしょう。それぞれの中学校で小学校時代とはまた違う一年間を過ごされたことでしょう。小学校と中学校、どこが一番違うのか、私なりに振り返ってみると・・・勉強が難しくなったり、テストが「中間・期末」と時期が決まっていて一日中テストになったり、(私の場合は)昼食が弁当になったり、と色々ありましたが、やはり一番異なる点はクラブ活動ではないでしょうか。中学校のクラブ活動は高等学校や大学のクラブ活動に通ずるものがありました。中学校からクラブ組織に慣れておかないと、その先高等学校から何かやろうと思ってもなかなかうまく順応できないのではないでしょうか。私としてはずっとクラブ活動を続けて良かったと思っています。
私が今一番親しく付き合っているのは、中学校時代のクラブ仲間です。ゴールデンウィークとお盆休みには毎年バーベキューをしています。その他時々食事に行ったり、相談事に乗ったり悩みや愚痴を聞いてもらったりしています。話題はいろいろですが、共通の思い出があるというのがここまで続いている一番の要因だと思います。たとえば、一緒に苦しい練習に耐えたこととか、感動(弱い弱いサッカー部だったのでボロ負けしたこととか・・・)を共にしたことなど。他の人は知りませんが、私は教室で机を並べたくらいではその人の人となりを本当に理解することはできないと思っています。もう一歩その人に踏み込むのにクラブ活動の場は最適ではないでしょうか。高校時代も大学時代も結局付き合いがあるのはほとんどみんなクラブ仲間です。
先日用事があって夕方上本町に行きました。驚きました。中学生高校生がうろうろ、たくさんいました。残念でした。有り余るほどのエネルギーを持っている青春時代。スポーツや研究に没頭すべきですよ。もったいないです。何か見つけましょう。今からでも遅くないですよ。そして、すでにがんばっているみなさん、苦しいときもあるでしょうが、がんばって続けましょう。きっと後でがんばってよかったと思えますよ。
全然「恩師のいま」とは関係ない文章になってしまいましたことをお許しください。とりあえず私は元気にがんばっています。また学校に遊びに来てください。
2002年6月15
勤めてきたことをこれまでそんなに振り返ることがなかったのですが、いい機会を与えていただき、感謝いたします。
初めて担任として受け持ったのは104期2年い組。北館建設の関係で、第1図工室が教 室となりました。ねずみが出たり雨が漏ったり、窓が普通教室より広くて掃除が大変だった り…どれもいい思い出です。2いの子たちと中庭や道場、いろんなところ遊びました。
初めて高学年を担当したのは103期。副担任で社会科の担当となりました。それから現 在の115期まで5回高学年を担当していますが、当時のできることは精一杯したつもりで すが、やはりこうした方がよかった、あれをしたらよかったと思うことがあります。(その思いは107期、111期、113期それぞれでももちろんあることなのですけれど。)
昨年、104期の成人式に呼んでいただき、初めて教えた子たちと再会できました。103期の何人かとは、お酒を飲む機会が持てましたし、また、今年3月には高校を卒業した107期の学年同窓会が学校で開かれ、皆それぞれと当時の思い出話に花が咲きました。
追手門の卒業生は皆、しっかり自分自身を見つめているな、と感じます。卒業生の皆さんと会うのは、教師としても刺激になります。皆さんにまけないよう私自身も今後も仕事に取り 組んでいきたいと思います。
2002年6月15日
初夏らしい太陽の日射しが照りつけるなか、赤やピンク色のつつじの花が鮮やかに咲き乱れています。
山桜会会員のみなさま、元気でお過ごしでしょうか。
6月は、水無月(みなづき)。 本来は「水の月」「田に水を引く必要のある月」という意味です。
この6月は、山桜会にとっても、一番大事な時期です。
8日(土)東京山桜会総会(東京会館 東商スカイルーム)
23日(日)山桜会総会 (リーガロイヤルホテル)
そうです。6月は山桜会総会の季節です。総会は、新年会とともに、多くの会員の皆様が集う大きなイベントの一つです。
今年は、後藤幸男・新学院長をはじめ、川人小学校校長先生、土井茨木中高校長先生、亀井大手前中高校長先生の他、多くの先生方に参加していただく予定です。
さらに皆様にお伝えすべきことは、今年の総会懇親会の目玉として、格調高く「起業家教育序説・・」なる講演会があります。
宮本直和先生によって、商売の神様・松下幸之助に学ぶ「思い」の研究成果をご披露していただきます。
混迷の日本経済にわずかながら薄日が射そうかとしているこの今、人間教育を含めて、教育・事業の原点を互いに確認しあう契機となれば幸いです。
友人知人多数お誘い合わせのうえ、ぜひご参集下さい。
山桜会新体制2年目の今年の総会は、「山桜会のさらなる進化」をめざし、さらに大きな企画を提案しています。それは、該当卒業年度生の「成人式」ないし「還暦式」を山桜会の新たな企画として取り込もうとするものです。
教育改革を掲げる母校追手門との関わりを強化し、同時に山桜会の同窓会活動のすそ野を広げる斬新な企画として、実現できたらすばらしい企画になると思いませんか。皆様方のご協力を!
卒業生が、母校と協力し、母校の教育改革を全面支援する。
これが卒業生として、あるべき姿ではないでしょうか。
また文化活動委員会をフルに回転させて、ゴルフ部会、グルメ部会、コンサート部会が近く花を開きます。山桜会のゴルフだけでも参加・・・。最初はそれだけでも大いに歓迎します。山桜会活動の楽しさを知っていただければ・・・。
山桜会 会長 川 原 俊 明
2002年6月5日
開催日:2002年5月25日(土) 10時より
開催会場
午前10時 受付 追手門学院小学校事務室前
午前10時30分 追手門学院小学校新校舎見学会
午後1時~ニューオータニ大阪にて懇親会 あやめの間(地下1階)
主催者:東、奥田、山下(戸谷)、岡田(大杉)
≪方針≫
◎生徒自治意識の育成
◎自治会活動の援助と指導
◎中学生による独自活動の養成
◎自治会活動の活性化
上記の方針に基づき、日々活動を行っています。具体的な活動としては、球技会と学校祭です。球技会は、ここ数年、舞洲スポーツアイランドで行っています。種目は、バスケットボールやバレーボール、サッカー、ソフトボールといったもので、各クラスが優勝を目指して頑張っています。また、9月には学校祭があります。今年のテーマは、「絆」です。クラスの「絆」、学年の「絆」、学校の「絆」をより深めてもらいたいという願いが込められています。
当日は、ドーンセンターで中学校の生徒による歌唱大会や吹奏楽部による音楽会、演劇発表、PTAコーラスなどが行われます。また、学内では、各クラスやクラブによる模擬店や学習発表、PTAバザー、山桜会によるイカ焼きの販売などがあります。特に今年は、全生徒で折り紙で鶴(約2万5千羽)を折り、テーマである「絆」という文字と「校章のマーク」を作る予定です。ぜひとも来校していただき、楽しんでいただければと思います。
激動の20世紀から世紀を跨いで21世紀を迎え、なかなか先が見通せない社会情勢ですが、卒業生の皆さんにはお元気でご活躍のことと存じます。今回この原稿を書くにあたって振り返ってみますと、追手門学院中・高等学校に勤めてもう18年が経とうとしています。気がついてみれば私の子どもも中2・小5になります。・・・・トシを感じざるを得ません。
懐かしいですね。
初めて担任を持ったのが高校の36期生、みんなもう立派なオジさん、オバさんになっておられるのでは、ないでしょうか?中学校22期生の皆さんはどうしてるかな?「ふじくわ」時代が懐かしいですね。思えば、あれが20代最後の担任でした。
高校43期生の皆さんは、バリバリの社会人という頃でしょうか?
中学29期生のみなさんは大学生活が始まったばかり・・・。人生で一番豊かになれる時期です。自分が専心できるもの、見つけられましたか?
中学30期の皆さんは、今春高校を卒業したばかり・・・。しっかりと自分の将来の夢を描いて歩んで下さい。たった1年だけでしたが、私にとっては楽しい「はら沢」時代でした。
そして、現在、私は中学33期生の口喧しい担任。新たな門出を祝う日が近づいています。ところで、社会の変化とともに、母校・追手門学院も随分と変わりつつあります。しかし、源流にあるものは皆さんが経験したことと同じ・・・。昨夏、33期生を引率して白馬登山に行ってきました。やっぱり山はもとより、大自然のなかで過ごすのはいいもんですね。
私自身、白馬岳はもう10回ほど登りましたが、何度訪ねても山頂からの壮大な景観は例えようがありません。今では山頂に「スカイプラザ」という「レストラン」があり、生ビールはもとよりステーキ・ケーキが食べられるんですよ!一度ファミリーや仲間で行かれてはどうでしょう・・・。いつでもご案内させて頂きます。
もう一つ、私の好きな中国・・・・これは随分ご無沙汰です。
確か、1989年春の「天安門事件の1ヶ月前に訪ねて以来?です。
独身時代と違って、なかなか自由がきかない現状。しかしいわゆる「中国熱」は冷めていません。なんと言っても日本文化のルーツですから。世界の国が巨大市場として注目する中国。その近代化した姿をこの目で見たい、さらにはチベットやシルクロードの大自然も味わいたい。と夢見ています。
オイシイ話があれば是非聞かせて下さい。間もなくワールドカップも開催されます。21世紀は、アジアの時代・・・。と思っているのは私だけではないでしょう。スタートしたばかりの21世紀ですが、不透明な部分も多いようです。こんな時代だからこそ辛いことが多いかもしれませんね。しかし、自分を見失うことなく生きたいものです。
「漂えど沈まず」の気持ちで歩んでみたいと思っています。私は山登りで、「歩けない」と思ったら、そこに限界がつくられる。「一歩一歩(征服)できる」と思ったら、そこに無限の力が湧き出るーと考えています。
いつか、どこかで・・・「あぁ あの時代は・・・」という懐かしい話が出来ることを楽しみにしています。どうか、みなさんもお元気でお過ごし下さい。ご発展を祈念しております。
2002年4月24日
追手門学院小学校 岩渕 正文
卒業生の皆さん、お元気ですか。昭和58年に本校に勤務して以来、今年で19年目を迎えることになりました。今年の2月に原稿の依頼を受けたのですが筆不精の故大変遅くなってしまいました。
現在、115期生5年に組の担任で理科を担当しています。106期生以来暫く高学年から遠ざかっていましたが、久し振りに専科担当になり張り切っています。
赴任当時から担当していました剣道も相変わらず指導しています。伝統の寒稽古は赴任当時6年生から、今は5年生に受け継がれています。最近では6年生が暑中稽古も行っています。段位も14年前に5段を取得し、更に創設者の高嶋先生が幼少期に励んだ野太刀自顕流の技術も少し修得し剣道の授業で教えています。3月に行われました会員と教員との交流会においても会員の方々から「『礼に始まり、礼に終わる』という剣道の精神が大切である。」という話を伺い、改めて身の引き締まる思いがしました。
直接関わった卒業生が驚くかも知れませんが、数年前から天体撮影という趣味を持ち出して、色々な天体を望遠鏡で眺めては写真におさめようと試みています。ここ数年は急激に普及したデジタル革命の恩恵を受け、冷却CCDカメラやデジタルカメラで天体を撮影することに凝っています。(写真はその一部です。)
私達にとって、卒業生の皆さんが各方面で益々活躍されることを心からお祈りしております。
2002年4月11日
満月 2001.10.02
2002年4月21日
追手門学院小学校 竹内 豊一
現在、教育界もトフラーが言うところの「情報化の波」の真っ只中にあり、非常に混沌とした感があります。学校の現場には、インターネット網やパソコンがどんどん投入されていますが、その有効性によって児童の能力がどれだけ伸ばされているかという点には疑問を感じることが多いです。
そんな世界中の教育界が混沌とした中に、答えを出せる学校はこの追手門学院小学校しかないと思っています。その思いを胸に「教育の情報化」に向け教育工学部長としてがんばっています。
平成13年度は、職員朝礼をペーパーレス化することができました。そんな小学校は、なかなかないと思います。そこまで教職員の意識とスキルは向上してきました。
次に目指すのは、授業の電子化です。そのための環境は着々と整ってきました。平成14年度には、メモリーが8ギガバイトというサーバーを導入しました。個々の端末に負担をかけない「Thin client system」を導入するためで。
e-learningをにらみ2、3年後には児童が個々に端末を持ったことも想定しています。
情報化の時代においても自由な発想で追手門の教育を推進していきますので卒業生の皆さんも楽しみにしていてください。
2002年4月21日
In July 1997,I arrived in Japan to assume my teaching position with the JET (Japan Exchange & Teaching) Program.
Little did realize that I would still be living here almost six years later.
Yet, after three happy years working in Sakai,I felt unable to say goodbye to Japam,and so I joined Otemon Gakuin Otemae in September 2000.
This past year at Otemon has been an incredibly busy and fulfilling one for me.
With the start of the International Course last April, I have greatly enjoyed teaching the grade junior high school students. They are lively teenagers who show a high level of curiosity towards learning English.
We enjoy talking with each other not only in class, but also during break-times and after school. It has been a pleasure to see the students attempt to strike up conversations with me, even with only one year of English It is this attitude of trying and not being afraid to make mistakes that I hope to foster within all my students.
I am sure that the new school year will bring many bring new challenges and surprises.
I look forward to teaching Otemon students, and learning much from them.
これからも よろしく おねがいします。
2002年4月21日
昭和49年4月初めて母校の教壇に立った。
舞い戻った時は、長い旅から帰って来た思いに駆られたものです。
その時、出合った生徒達はすでに42才になって、同じように母校の教壇に立っています。
昨年、クラス担任をしていたU君の父は14期生の親友の一人であったし、茨木の方で先生をしておられる同級の坂田君や松村(津村)さんがおられます。
また昨年度まで辻井先生は、退職後も教壇に立たれていました。
先輩では10期生の池田先生が理科の同僚としておられます。このような雰囲気は追手門ファミリーと言われる所以の一端かもしれません。
振り返れば無我夢中でやってきた28年間でありました。昨年、学院より永年勤続で表等して頂きましたたが、学院の教育改革の中でそれに見合う青務を全うしているのか、反省する好機だと思っています。
さてこの紙面を借りて母校の発展のためにお願いがあります。かって同級の川原君が晴れの弁護士になられたときに、クラスのホームルームで特別ゲストとして生徒達に弁護士への道として講演をして頂いたことがあります。その話しに感銘を受けた生徒達から素晴らしい人材が輩出しています。
この試みが現在、大手前中高では、インターンシップを初めとした様々な教育改革プランへと発展しています。山桜会の名簿を拝見すると、同級生の皆様は社会の中核で様々な活躍をされています。その経験や専門の話しを後輩達に伝えて母校発展へと結びつけて頂きたいと願っています。
2002年4月21日
(大手前学舎 26期生 古川幸美)
こんにちは。山桜会報はいつも楽しく読ませて頂いています。
同級生の名前を拝見する度に懐かしく、学生時代のことが思い出されます。
私は現在、母校大手前中高で家庭科を教えています。
今まで38期生・47期生の担任をし、今年は51期生、高校3年生の担任です。
この学年とは6年目の付き合いで、いよいよ受験期を迎え、その重責をひしひしと感じています。
生徒一人一人が目標を達成できるよう微力を尽くしたいと思っています。
家庭科といえば女子だけの履修科目という印象をもたれる方も多いと思いますが、平成5年度より中学校、平成6年度より高等学校でも男女共修になりました。
男子の中にもミシンを使う被服実習や調理実習の包丁さばきがとても上手な生徒が多く、驚かされることもしばしばです。
きっとご家庭で色々とお手伝いをされているのでしょう。
さて、私は昨年度より入試広報の仕事をしています。
8月下旬から私学展や塾主催等の学校説明会が始まり、受験生の保護者の方とお話をする機会がよくあります。そうすると必ず『迫手門ファン』とお会いするのです。
迫手門の良さをよく理解してくださっていて我が校への入学を熱望されます。
ご存じの通り本校は「名門の復活と継承」を掲げ、教育改革に取り組み、平成13年度よりコース制を創設しました。
この改革を成功させるべく教職員一丸となって日々の教育活動に専念しています。
それに対する期待や励ましのお声と同時に、今まで通りのアットホームな雰囲気、生徒の暖かさや明るさを大切にしてほしいというご意見もよく頂きます。
迫手門学院の良さは卒業生の私達が一番よく分かっています。
私の兄(森和良)は24期生、長女(美香)は小学校110期生、次女(明里)は113期生でまさしく我が家は迫手門ファミリーです。
お世話になった母校のために自分がすべきこと、できることは何か、
大好きな迫手門学院の「名門の復活」のために日々研鑚して参りたいと思います。
「同級生に手紙を出すような気持ちで」との原稿依穎でしたが、ちょっと堅くなってしまいました。26期生の上田さんご夫婦塚田(渡辺)さん、家田(増田)さんは大手前中高の保護者です。そのはかにも小学校の保護者としてたくさんの同級生とお会いしました。
総合企画タンクの岡本(善秀)君とはお仕事上でお世話になっています。
いつどこで会っても「お久しぶりお元気?」と学生時代に戻れる、これが追手門学院の素晴らしさです。
自宅前で、元カメラ部の明里が撮りました。顧問の津田先生、いかがでしょう?
2002年4月21日
3年前、本校に着任させていただきました。3年前は右も左もわからない状況で、色々と先生方や保護者の皆様にご指導を頂き、なんとかこなしているという状況で、無我夢中でこの3年間を過ごしてきたという感じがします。
またこの3年間は、53期の担任を務めさせてもらい悩んだりしたこともありましたが、この春53期が中学を卒業したときはとてもうれしかったし、「教師になって良かった!!」と心から思えました。
私は子どもたちを教育するにあたって「厳しくかつ楽しく」ということを常に考えています。
私は大分県の公立の中高を卒業したのですが、中学・高校時代は勉強よりもサッカー部の活動が中心の生活をおくっていました。サッカー部では、上下関係が厳しく、先輩にはよくおこられたりもしました。しかしその一方で技術面や学習面でいろいろと教えてもらいました。この経験は現在の私をつくる上で大きな影響があったと思います。その経験から子どもたちに接する姿勢というものが出来たと思います。
この姿勢をこれからもずっと大切にしたいと思っています。
今私は学校改革の一つとして、「起業家育成コース」の担当者の1人として取り組んでいます。新しいコースで、しかも日本で本格的に最初に導入されるコースでもあります。
学校に来た当初はこのような仕事に取り組むとは思ってもいませんでしたが、いざやってみるとたしかに厳しいですが、面白いこともたくさんあります。
しかしこのコースは山桜会をはじめとする諸先輩方の力がぜひ必要です。
ぜひとも全面的な協力をお願いします。
これからも山桜会の皆さんにもいろいろとご協力を賜ることがあると思いますが、よろしくお願いします。
2002年4月21日